小4総合コースの理科では、一か月に約1回、前後の授業の内容をより深めるために理科実験を行います。この理科実験の日には、実験の結果や理由について考える、つまり「予想する」という時間が必ずあります。ある日の理科実験の授業で、「この薬品に別の薬品を加えたらどうなるかを予想してみよう!」と問いかけると、こんな言葉が返ってきました。
「先生、習っていないからそんなの知りません!」
仮説を立てて実験を組み立てていくときならいざ知らず、学びの場において予想した内容と実験の結果が同じである必要はありません。予想とは、自分のこれまでの経験を踏まえて、自分で考えてみるということです。しかし、子どもたちにとっては「先生からの問いかけ」に対する答えは、「正解でないといけない」もののようです。
そんな彼らの反応を見て、予想する時間を少し長めに取ることにしました。すると、手を挙げての発表ではないけれど、ちらほらと「つぶやき」が聞こえてきます。声の大きさはそれぞれ、しかし「こうなるかも」と一つ言葉がこぼれて聞こえると、それを拾って別の誰かがちがう考えをつぶやく。大人である私のこのときの仕事は、出てきたつぶやきを消える前にかき集め、こんな考えもあるねと黒板に書き出していくことだけです。ここまでくれば、動かなかった子もだんだんと考えを口にする(あるいは書き出す)ようになるから、おもしろいものです。「わかった!それを混ぜたら爆発するんでしょ!」と身を乗り出し、目を輝かせて力説する子もいますが、最初はそれでもいいのです。子どもたちが考えることを楽しめるようになるには、教室が「思うままに予想をしてみていい場所」である必要があります。予想する、あるいは発想するというのは、「自分の頭で考えている」ということにほかなりません。「こうなったらおもしろいかも!」それも一つの発想なのです。
予想ができるようになると何がいいのか。その真価は、予想と結果がちがったときに発揮されます。自分で考えた予想だからこそ、結果との違いが、知らなかった(覚えていなかった)知識の存在を自分自身に教えてくれるのです。
それまで言葉の羅列にしか見えなかった知識が、目の前で起こっている現実とつながりがあるとわかる。そのとき、大なり小なり、子どもたちのなかには衝撃が走るようです。「そういうことかー!」「本当だ!」と何やら雷に打たれたような反応を示す子もいれば、「わー…」と、自分のなかであふれる何かを味わうかのように静かに感動を示す子もいます。知識が増えるほど、経験が増えるほど、そのつながりはより複雑になり、衝撃は爽快感を伴うものになります。表に出てくる反応はその子によって本当にさまざまですが、その気持ちよさこそ、学ぶ楽しさ、知る楽しさの原動力となります。
4年生後半ともなれば、あまりにウケを狙いすぎる予想は、「そんなわけないでしょ!」と突っ込まれるのがお決まりのパターンにもなっていきます。そして授業で学んだ知識も、日常での経験もぐっと増えるなか、理科実験という特別な時間だけではなく、通常の授業でも「つぶやき」が聞こえてくるようになります。思い思いに出てくる「つぶやき」は、頭を働かせている証拠。その音量には注意をはらいつつ、今日も授業で子どもたちの考えたつぶやきを大事につなげていきます。理科という教科を通して、世の中にはこんなにおもしろいことがあるんだと、子どもたちと一緒に知ること、学ぶことを楽しんでいけたらと思います。
最後に、教室で行ったとある実験での一コマをご紹介します。結果を目の当たりにした男の子が興奮したように小さく、深々とこうつぶやいたのです。
「すごい!マジックみたい…お母さんに見せてあげる!」
彼が大好きなお母さんに見せたかったのはどんな実験だったのでしょうか。ぜひ予想してみてください。
スクールFC 川幡智佳(2022年)
*・*・*花まる教室長コラム*・*・*
それぞれの教室長が、子どもたちとの日々のかかわりのなかでの気づきや思いをまとめたものです。毎月末に発行している花まるだよりとともに、会員の皆様にお渡ししています。