先日、ある学校に表現コミュニケーションの出張授業をしに行ってきました。その学校は「日本手話」を第一言語とした“ろう学校”です。通っている子どもたちはみな耳が聞こえません。ろう学校を訪れることは私にとって初めてで、普段やり慣れているワークを、ろうの子どもたちと一緒にやるということに、わくわくドキドキしていました。
校舎に入ってまず驚いたのは、本当に子どもたちがいるのかと疑ってしまうほどの静けさ。考えてみれば当たり前なのですが、普段花まるの教室で接している子どもたちや、にぎやかな授業の様子を思い返してみると、学校なのに子どもたちの声が一切聞こえないというのはとても不思議な感覚でした。
一緒に授業をしたのは6名の6年生。最初は緊張した面持ちでこちらをうかがっていた子どもたちでしたが、ゲームが始まると一変、感覚が研ぎ澄まされたような集中力と表現力を発揮しました。
最初におこなった「10円玉ゲーム」では、10円玉を落とさないように姿勢を保つバランス感覚と、相手の攻撃を瞬時に避ける瞬発力、その緊張感のなかで相手に仕掛けていく駆け引き等、さまざまなマルチタスクが必要となります。回数を重ねるごとに子どもたちの動きはよくなり、まわりを見る目が養われていったように感じました。最後の女の子同士の一騎打ちは、花まる学習会の野外体験でおなじみの「サムライ合戦」に匹敵するほどの緊張感がありました。
ゲームを進めていくなかで、さらに驚いたことがありました。それは、子どもたちの「やりたい!」「こうしてみたい!」という意欲とアイデア力です。
「みんなで一つのもの」というゲームでは、チーム全員で協力して、お題のものや場所を表現するのですが、
「いまからみんなで1つの風景を表します」
という説明を聞いただけで子どもたちの体が瞬時に動き出し、
「私は夕日をやる!」
「あなたは見ている人ね」
と自然発生的に相談が始まりました。まだお題も発表していないのに。順序立てて説明していくうえで、伝わりきる前に思考が、体が動き出してしまったということなのですが、それにしてもこんなにも素早く体が反応するものかと、スタッフ全員、鳩が豆鉄砲を食ったようでした。
もう一つ、こんなことも。「つけたしピクチャー」というゲームの説明をするとき、例を見せようとしたらある女の子が、
「事前に相談してたんじゃない?お題は私たちに決めさせて!」
と言ってきたのです。もちろん、こちらで用意していたお題はあって、一度リハーサルもしていたので、スタッフ同士共通の認識をもったうえで例を見せる予定でした。しかし、そこすらもゲームの1つとし、「思い通りにはさせないんだから!」という子どもたちの大人に挑む姿勢は、なかなか見られるものではありません。
子どもたちから出されたお題は、こちらの意図することがきちんと伝わるものではなかったものの、突然の無茶ぶりに慌てる大人たちの姿を見て、してやったり顔の子どもたちは、きっとどんな場所で、どんな人と接しても、物怖じせず思ったことを素直にぶつけることができるのだろうなと思いました。
相手の顔色を伺って、「これは言わないほうがいいな」「言わなくても話は進むだろう」と自分の意見を飲み込んでしまうことの多い現代。耳が聞こえないことにより、自分の考えを伝えるのが難しいという一つのハードルがあることで、ろうの子どもたちはより「伝えよう」という気持ちが強くなるのではと感じました。
しかし、こういう気持ちは本来子どもたちみんながもっているものだと思います。それを、「いまは言うときじゃない」「みんなの意見が大事」などと知らず知らずのうちに制限されてしまい、次第に口にすることすらはばかられてしまいます。花まるの教室では、何でも言っていい場所、何でも受け入れてくれる場所であり続けたいです。これからも、「ためらわずに言える環境」で、「ためらわずに言える人」を育てていきます。
花まる学習会 井上笑里(2021年)
*・*・*花まる教室長コラム*・*・*
それぞれの教室長が、子どもたちとの日々のかかわりのなかでの気づきや思いをまとめたものです。毎月末に発行している花まるだよりとともに、会員の皆様にお渡ししています。