世界が瞬く間に一変した。目に見えないウイルスを相手にし、生活はもちろんのこと、仕事も学校も習い事もすべてにおいて変化を余儀なくされた。学習環境は、対面での授業を一斉にオンラインに切り替えた。徐々に元に戻ろうとしているが、オンラインで授業を行ったこの数か月での子どもたちの変化、成長は驚きの連続である。
私にとっては、春の風物詩とも言える子どもたちとの1シーンがある。それは、新1年生との説明練習。子どもたちが発表した答えの思考過程をインタビュー形式で拾い出したり、言い換えたりする。私たちの仕事は、子どもたちの一つひとつの小さな頑張りを受け止めることであり、さらに何を伝えたかったのかを理解し、そして認めること。その対話のなかで言葉を換えて、より正しく簡潔に導いていく。
今年は、対面式の授業と違い、子どもたちはパソコンやタブレットの画面を見ながら答えを発表し、自分の考えを説明する。いつもであればホワイトボードの板書を指差し「あれが…」「そこが…」と指示語で説明をする姿をよく見かけた。説明練習のはじめの一歩である。私は、教室にいる全員がわかるように「あれってどれ?」「そこってどこ?」とツッコミを入れ、子どもの説明に具体的な言葉を肉付けしていく。そうすることで一対一のやりとりでなく、説明を聞くすべての人に伝わる説明になっていく。
それが今年、オンライン授業を始めてすぐにいつもと違うことに気がついた。いつものツッコミがなかなか出せない。自分の目の前の画面を指差して、「ここが…」と言ったところで、画面の向こう側にいる誰にも伝わらないことを子どもも自然と理解していた。何とか相手に伝わるように自分が持つ語彙と感覚を共有しようと、頭をフル回転させて言葉を紡ぎ、たどたどしくも精一杯の表現をする。はじめはどうにか伝えようとするあまり、言葉多めのまわりくどい説明になる。もしかしたら、学校の休校や習い事の自粛が続き、話したい、聞いてほしいという欲が強くなっているのかもしれない。
オンラインでの授業を経て、子どもたちの説明は「言葉足らず」から「説明過多」になった。そこで私はまたツッコミを入れる。「ということは?」「つまり?」と要約させる意識を持てるように質問を返す。最後は、子どもたちが説明したことを模範的にまとめるが、はじめから私が一方的に指導し、解説したのではおもしろみがない。あくまでも子どもたちが主体であり、掛け合いのなかで説明が構築されていくから楽しめる。
新年度を迎えて3か月が経った。少しずつではあるが、大人顔負けの無駄のないシンプルな説明ができるようになりはじめている。ここで改めて考える。子どもたちは環境の変化に適応しようとしたことで、無意識のうちに説明する力がより身につく(ようになるのが早い)のだとしたら、いまの環境も決して悲観的になることはないのではないか。むしろ、我々は常に何事も前向きに捉え、環境の変化さえも子どもの成長を促したと感じられるような指導を志したい。そう思いながらいま、オンラインでも対面授業でも授業を担当している。
私たちはこれからもどのような環境においても、子どもたちにとって有意義な学びとあそびの時間を創造できるように工夫していきます。また、保護者の皆さまからのご意見やアイディアをどんどん取り入れ、時代の変化に合わせて授業をアップデートしていきます。
花まる学習会 中山翔太(2021年)
*・*・*花まる教室長コラム*・*・*
それぞれの教室長が、子どもたちとの日々のかかわりのなかでの気づきや思いをまとめたものです。毎月末に発行している花まるだよりとともに、会員の皆様にお渡ししています。