【花まるコラム】『 いつもの公園の、いつものシーソーで』佐々木汐莉

【花まるコラム】『 いつもの公園の、いつものシーソーで』佐々木汐莉

 「さて今日は何をしよう?」子どもと外に出るとき、私のお気に入りの場所は、家の近くの小さな川辺です。鳥のさえずり、川が流れる音、季節によって違う草花たち、まったく違う世界を生きている虫たち。都会で発見した自然や生き物の美しい世界に、自分の心も解放されていくのを感じます。

 最近では、子どものリクエストで公園に行くことも増えてきました。公園であそびを見守るとき、安全管理面のアンテナ、ほかの子との接触への配慮…川辺とは違い、まわりに気を遣い過ごしている自分に気づくことがあります。このご時世だから、というのもあるかもしれません。そんななか、シーソーを楽しんでいる親子に突進していくわが子の姿が目に入りました。「おっと、すみません…」子どもの興味を違うところに向けようとしたところ、「あ、やりたくなったんだね、一緒にやる?どうぞ~!」と、お父さんがわが子をシーソーに乗せ、一緒に遊んでくれたのです。「わ~ありがとうございます…!」びっくりして固まりながら、シーソーに揺れるわが子。でも口元はほころんでいました。緊張しながらも、心では喜んでいるときの様子です。そのあそびを見守りながら、心がすっと軽くなっていく自分がいました。と同時に、公園ではほかの子に接触させてはいけない、見張っていないといけないという気持ちが強く、私自身が自分らしくいられていなかったのだと気づきました。

 このできごとをきっかけに、公園でほかの子が近づいて来てくれたとき、声をかけたいなと思ったら自分から声をかけるようになりました。わが子がほかの子とかかわりたそうに近づいたとき、様子を見たり、もう一人の子ともコミュニケーションをとったりしながら、お互い心のままに過ごすことにしました。そんなふうに過ごしている時間はなんとも心地よく、出会いに満ちていました。さらに、わが子にも変化がありました。ほかの子が公園の小さな小屋でお店屋さんごっこを楽しんでいるとき、いままでは「やりたい」とつぶやいて立ち尽くしているだけでしたが、「いらっしゃいませ~何がいいですか?」と自然に仲間入りするように。滑り台を誰かと一緒にやりたいと感じたときには「まってる」とほかの子が隣のレーンに来るのを待ち、隣で滑り出すタイミングで一緒に滑り、笑いながら互いに顔を見合わせる光景も。私が私らしく公園で過ごしていると、息子も自分の心を解放して過ごせるのだとわかりました。

 母になると、役割やここではこうすべき、にいつの間にか縛られているときがあるなと感じています。でもそれに気づき、自分がどうしたいかに従って過ごしてみると世界が広がります。そして私のそんな心の動きを察知したり、心が連動したりするのが子どもという生きものなのでしょう。

 「花まるおやこクラス」でも、親子の素敵な、互いの心の化学反応を感じるシーンに多く出合います。「粉」であそぶ回では、2歳のKちゃんが粉を水に入れたあとの感触の変化に驚き、何度も試していました。その横で、お団子作りに没頭するママ。Kちゃんがここぞというときに「見て!」とママに声をかけ、「わ~!感触がおもしろいね」とその感動を共有しあったあとは、またそれぞれの世界へ。ママが「お団子を丸くできた!」と声をかけるとKちゃんが「それ、貸して」と並べて「お団子3つ並んだ!」とほほえみ合う。お互いが心地よくやりたいようにやっているからこそ、相手の没頭しているものやできていく作品を「あなたはそうしてみたのね。素敵だね」と心から認め合えるのでしょう。

 その光景を見て思い出すシーンがあります。私の母はZARDが大好きで、洗濯物を干す際には必ずその曲を聞き、ときには口ずさみながら、その世界に浸っていました。私はその光景が大好きで、見つけると一緒に口ずさみ、ときにはその場で踊っていたのを覚えています。

 親の気持ちを自然と感じ取る子どもだからこそ、親が自分らしく幸せに過ごすことを心から応援してくれているのかもしれません。そんな大切なわが子と互いに心動く時間を花まるおやこクラスで過ごしてほしいな、と感じています。

花まる学習会/花まる親子クラス 佐々木汐莉(2022年)


*・*・*花まる教室長コラム*・*・*

それぞれの教室長が、子どもたちとの日々のかかわりのなかでの気づきや思いをまとめたものです。毎月末に発行している花まるだよりとともに、会員の皆様にお渡ししています。

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