【花まるコラム】『一人ひとりの感性』石川裕眞

【花まるコラム】『一人ひとりの感性』石川裕眞

 一人ひとりの感性、たとえば見たもの・聞いたものが一緒でも感じ方は違う、ということを教室でよく感じます。一方でその感性を、成長するにつれて表に出す人が少なくなるようにも感じます。つまり、一瞬一瞬で感じていることを、私たちは言葉にしない選択をしてしまうということです。

 私自身、幼稚園・小学生の頃はしていた自分の感性に基づく意見を他人に伝えることを、中学生頃から徐々にしなくなっていきました。ほかの人の意見に賛同して流される。良い意味で言えば協調性があると言えるかもしれません。確かに「楽」でしたが、楽しくありませんでした。自分の感性や自分の意見とは違うものに無理やり賛同して物事を進めていくことが楽しいはずはない、と気づいたのは、大学生になってからでした。サークル活動の際、自分の意見を言葉にして伝えて、実行に移すという機会がありました。しかし、ここである壁にぶつかりました。中学生、高校生と自分の意見を伝えてこなかった私は、いざ伝えようとしてもなかなか出てこないのです。結果的には伝えることができ、感じたことを言葉にする「楽しさ」を再確認したのですが、遠回りをしたと思います。子どもたちにはずっと、自由に心を言葉にし続けてほしい。そう、思わせられるできごとがありました。

 それは年長クラスでのこと。その日は「吹き絵」の思考実験をおこないました。感染防止対策の都合上、口で息を吹きかけずにうちわや風船の空気入れを使っておこないました。画用紙に乗せた絵の具に空気を当てると、絵の具が勢いよく広がって模様ができる。それを見た子どもたちの目が輝きました。Aくんは「先生、見て!火事みたいだよ!」と言い、Bくんは「花火みたい!きれい!」と言いました。ほかの子たちも次々に「○○みたい!」と思い思いに見えた形を表現し始めました。それはまさに、私が理想とするあり方でした。

 この一幕で「すばらしい」と思った瞬間がもう一つありました。それは、一人ひとりが感性を発していたとき、誰ひとり否定的な言葉を言わなかったことです。「わ、ほんとうだ」「それにも見えるね!」と、新しい発見としてとらえる素直さに感動しました。大人になると他人の意見に否定的な反応をしてしまうことも少なくありません。自分の感性・意見をもっている人ならなおさらです。よくよく考えると、否定から入ることで幸せな気持ちになる人はいないのに…。その点、子どもたちはほかの人の感性を「新しい視点」「新しい発見」としてとらえ、自分のものとして蓄えることができるのです。

 子どもたちと接していると、大人になるにつれて、自分自身、知らず知らずのうちに変わっていってしまっていたと気づかされることが多々あります。「感性をあまり表に出さないこと」も「他人の感性・意見に対して否定的な言葉をつかってしまうこと」もそうです。だからこそ、子どもたちがもっている柔軟な心をいつまでも忘れないでほしいと思います。      

花まる学習会 石川裕眞(2022年)


*・*・*花まる教室長コラム*・*・*

それぞれの教室長が、子どもたちとの日々のかかわりのなかでの気づきや思いをまとめたものです。毎月末に発行している花まるだよりとともに、会員の皆様にお渡ししています。

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