【花まるコラム】『真実はいつもひとつ?』金本卓也

【花まるコラム】『真実はいつもひとつ?』金本卓也

 大学時代、ドキュメンタリー映画をつくっていたことがありました。映画とはいっても大層なものではなく、20分程度の短いものでしたが、とにかく夢中になってつくっていました。あるとき、友人と二人で、同じテーマ、同じ場所で映像をとり、それぞれ違う映画をつくろうということになりました。テーマは「工事現場で働く人々」。工事現場に足繁く通い、撮影許可をとり、撮影。それから編集です。その過程、私と友人はお互いどのような映画をつくっているか、まったく知りませんでした。3か月後、完成した作品を見比べてみると…驚きました。同じ人、同じ場所なのだけれども、テーマも雰囲気もまったく違う映画に仕上がっていたのです。友人はとにかく現場で働く人の苦労、哀しみ、そういう要素に焦点をあてていました。一方、私は、現場で働く人が実際の作業にどういう楽しみ、喜びを見出しているか、そこに注目してつくったのです。同じ「工事現場の人々」を描いているのに、かくも違うのかと、ある種の衝撃を受けたことを覚えています。絶対的な真実が存在するのではなく、真実というものは、人の数だけ存在する。名探偵コナンくんのおきまりの名ゼリフ「真実はいつもひとつ!」という言葉とは真逆の感覚が私を襲ったのでした。そうか、そうか、真実なんてものは、いくらでもあるんだ。そんな学びを得た大学一年の夏でした。

 ところ変わって、教室での一場面。低学年授業での「たこマン」の時間のことです。これは、一コマ目の絵を見て、2コマ目(オチ)を考える教材です。正解はなく、いかにみんなを笑わせる「オチ」を発表できるかどうかにかかっています。その日の題材は、「水差しの絵が飾ってあり、その絵に子どもが手を伸ばそうとしている」というものでした。「水差しの絵から、実際に水が出てくる!」「絵のまかに入ったらワープをする!」おもしろいアイディアが次々と飛び出してきます。そのなかで、2年生のTくん。「絵の額縁みたいに見えるけど、実は窓枠で、となりのおじいさんが手を伸ばしてきて、水差しをとっていっちゃった!」この天地が逆になるようなコペルニクス的発想に教室が「なるほど~!」とどよめきました。「なるほど。絵みたいに見えるけれど、実は窓だったんだね。Tくんにはそう見えたの?」「うん、そう見えた!」「そうか。みんなそれぞれ見え方が違うんだね。おもしろいね」そうとしか自分が見えないと思っていても、ほかの人から見ればまったく違うものに見えたりする。つまりは、「いろいろな真実がある」ということです。
 低学年のなぞぺー(思考力教材)の時間。その日の1年生の問題には、迷路がありました。迷路はみんな大好き。あの試行錯誤したあとの、なんとも言えない達成感が気持ちいいのでしょう。1年生のKちゃん。無言で迷路にかじりついて、最後に「できた!」と思わずガッツポーズをしていました。そして、ふとほかの子が気になったのでしょう。ガッツポーズをしたまま、隣の男の子の迷路をちらっと見ました。すると「あれ?私とやり方が違う!先生!このやり方でもいいの?」テーブル講師に聞きました。「うん。いいんだよ。答えはひとつじゃなくて、いろいろあるから。まだまだあるかもね!」その言葉を聞いたKちゃんは「ふーん。いいんだ。じゃあ、ほかのやり方があるか、考えてみよっと!」と、別解を考えはじめました。そして「先生!見て!違うやり方でできた!」とてもいい光景でした。いままで答えはひとつだと思い込んでいたのでしょう。いい意味で、枠を外されて、Kちゃんの考える幅はまた一つ広がりました。

 私が大学のときに得た「真実はひとつではない」その衝撃にも似た学びを肌で体感できる。それが花まるの素晴らしさだと最近考えています。真実はひとつではないと肌感覚で知っている子たちは、わからない問題にあたったときに「このやり方だとだめか。じゃあこうやったらどうだろう?」と柔軟に考えることができるでしょう。そういう魅力的な人のまわりには、いつも人であふれます。子どもたちにそんなふうに育ってほしい。そう思っています。

花まる学習会 金本卓也(2022年)


*・*・*花まる教室長コラム*・*・*

それぞれの教室長が、子どもたちとの日々のかかわりのなかでの気づきや思いをまとめたものです。毎月末に発行している花まるだよりとともに、会員の皆様にお渡ししています。

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