何年か前、自分への誕生日プレゼントとしてミラーレス一眼のカメラを買った。当時とても欲しかったもので、決め手はシャッターを押したときのカシャっと残る感覚だった。「シャッターを切っている」という感じがどこかかっこよく感じたのだ。旅に出るときには決まって一緒に出かけていたのだが、コロナ禍になってめっきりカメラを手にする時間が減り、最近は部屋の片隅で息をひそめていた。
そんなカメラをもう一度手に取ったのは、雪が降った翌日の朝だった。晴れた青空のもと、木の枝から雪がはらはらと風で舞い落ちる様子がきれいで、電線から少しずつ雪が落ちる音が心地よかったのだ。この日、思わず撮影した1枚の写真を思い浮かべながら、私も作文を書いてみた。
いまでも鮮明に思い出せる。いつもとちがう景色が広がっていた。毎朝どこか忙しない気持ちで行き急ぐ駅前だが、雪道を歩く人たちは「転ぶまい」と言わんばかりに、いつもよりゆっくり歩いている気がした。私はわざわざいつもより少し早い電車に乗るため、気持ちを高ぶらせながらカメラを持って家を出た。耳から流れる音楽も雪にまつわる曲を選び、気分はゲレンデにでも向かうかのよう。雪でテンションがあがるなんて小学生みたいだが、まだまだ子ども心を忘れてないとポジティブに解釈することとしよう。電車を降り、雪を踏みしめながら道を進んでいくと、きれいなピンク色がちらっと見えた。「なんだろう?」近づいていくと、白いぼうしをかぶったツバキをだった。真っ白で包まれた朝に、ピンクの花がとても目立っていた。そしてこちらも雪をかぶった緑の葉が、その美しさを引き立てているように感じた。私はシャッターを切った。「いましか撮れない!」と心が動いた瞬間だった。
この週の授業で子どもたちが書く作文の多くは、予想通り、雪に関するものだった。「雪だるまをつくった!」「友達と雪合戦をした!」というような、子どもらしい「楽しかった!」という気持ちが全面に伝わってくる作文たち。めったに降らない雪に喜ぶ気持ちを表現する言葉が並んでいた。読みながら、もちろんわくわくした。一方で、もったいないと思ったこともあったので、ここに書き留めておきたいと思う。それは、「うれしかったです」「たのしかったです」「また○○したいです」で締めくくられる子どもたちの作文について。どこかこの表現で終わらなければいけないと思っているのか、いわば型のようになっていることに違和感を抱いた。花まるの作文の時間では、「思ったことをそのまま言葉にしよう」と伝えている。心からそう感じているのであればいいのだが、もしその言葉でポジティブに終わらなくてはいけないと思っているのであれば、それはまた違うのではと思うことがあるのだ。このような作文は低学年の子どもたちに多めだが、心配しなくとも学年が上がるにつれて、ポジティブな気持ちだけの作文は減ってくる。友達関係、親との関係、自分の至らなさにいらだつこともある高学年になると、表現力がつき、語彙が増えることも手伝って、より細かく文章から様子や気持ちが伝わってくるようになる。また、自分を客観視できるようになる発達段階なども関係して、自分と向き合う時間が深まる印象だ。高学年こそ、ゆっくりと自分の心と向き合ってほしいと願う。
感じたことを言語化するときは、心が動いたシーンをゆっくりと思い出し、丁寧に言葉にしていけばいい。まるで1枚の写真を思い浮かべるように。すると、いろいろな記憶や感情が湧き上がってくるだろう。それらを糸でつなぐように、言葉で紡いでいく。その経験を積み重ねていくことで、弱い自分と向き合うことになったり、自信がついたりしていく。心のなかにある本当の気もちに気がつき言語化することによって、自分の栄養になっていく。だから、心が動いたときには、心のシャッターを切って、大切にしまっておいてほしい。きっと自分を大きくするにちがいないと思うから。
花まる学習会 加藤千尋(2022年)
*・*・*花まる教室長コラム*・*・*
それぞれの教室長が、子どもたちとの日々のかかわりのなかでの気づきや思いをまとめたものです。毎月末に発行している花まるだよりとともに、会員の皆様にお渡ししています。