西郡コラム

【西郡コラム】『あれから10年』 2021年7月

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 10年も暮らすとペットも家族になる。用を足す臭いと物言わぬ目を見るのが嫌で犬を飼うのは反対だったが、セラピーとして飼いたいというので「飼うのは命を預かるということ」と念を押して受け入れた。知人の知人から譲ってもらった、雑種の雌で名前はビスコとした。飼ってはみたものの小便も糞もする、獣臭には慣れない。どこか距離を置いていたが、その距離はビスコ自身が埋めてきた。朝起きるとペロペロと私の口の周りを舐めてくる。私も次第に抱っこをする、頬ずりをする、口を舐めさせる、小便をふく、糞を捨てる、物言わぬ無邪気な子犬に心が解かされた。それに、ビスコには私たちしか“肉親”はいない。
 初めて、私がビスコを散歩に連れて出たときのこと。迂闊にも生後4か月の命を逃がしてしまった。首輪から首がするりと抜け、慌てて大声で名前を呼んでしまったものだから恐怖を感じて一目散に走り去った。私が追いつけるはずがない。「命を預かる」と言いながら、この無責任。見つからなければ命を落とすことになる。行き交う人に聞いても目撃者はいない。ビスコの写真入りの貼り紙を作り、近所のコンビ二、郵便局、理容店、漢方薬局、不動産屋等々に貼らせてもらう。仕事を終え、帰宅すると自転車に乗って「ビスコ、ビスコ」と呼びながら、夜中の2時過ぎまで近所を走った。もうだめか…望みが切れかかったとき、保護したという知らせがきた。気も体も抜け落ちた。
 あれから10年。金曜日の夜、ビスコの様子がおかしい。この10年間、予防接種以外、病院の世話になったことがないほど雑種の逞しさがあった。今日は元気がない、ものを食べない、私たちを避けるように物の影や下に入り込む。いま思えば、死に際を見られたくない本能だったのか。翌土曜日、私は仕事のため、家族が病院に連れて行った。帰宅の車中で「ビスコは死ぬかもしれない」というLINEが送られてきた。え、死ぬ? 呆然とする。何が起こった? 思わず「ビスコ、死ぬな」と打ち返した。
 ビスコを死の淵まで追い込んでいるのは、免疫が異常に反応して赤血球を破壊し続けているからだそうだ。治療は投薬して破壊する免疫を抑え込むしかない。刻々と破壊が進む中で、薬の効果がいつ効いてくるのか、赤血球が残り、さらに自分で作り出せれば命はつながる。赤血球が破壊され続ければ死ぬ。時間との勝負だ。最後の手段は輸血、ほかの犬から赤血球を補い、時間を稼いで投薬の抑制効果を待つしかない。頭によぎる死別を打ち消すように、あの子は強い、何とかなる、絶望の合間に幽かな望みを絞り出す一夜が過ぎた。
 翌日曜日、病院から連絡が入り、駆け付けた。病状はさらに悪化、一縷の望みは消えた。投薬が効かず、赤血球が破壊され続けている。「明日まで」という言葉が獣医から出た。「病院で預かってもいいが、最期は自宅で看取れない」と暗に示す話だった。輸血しか手はないが、輸血する犬にも負担がかかり、飼い主が引き受けてくれるかどうかはわからない。ビスコの血に適応するかどうか採取して調べなければわからない。そもそも輸血が効くかどうかもやってみてのこと。ハードルは高い。命乞いを諦めて、自宅で最期を看取ることが飼い主としての務めかもしれない。
 私の上の子どもは成人して一度家を出たが、精神的に参ることがあってまた戻ってきた。ビスコは彼のセラピードッグ、心の支えだった。彼は10年間の時を経てやっと自立の道を歩み出し、この春、家を出た。その矢先のビスコの危篤だった。彼の落ち込みが酷かった。がっくりと肩を落とし震えていた。私が死んでもこれほどの涙は流さないだろう。抑えきれずに溢れ出る、妻の涙。妻にとってもビスコの存在はセラピーだった。ビスコはセラピーとしての役割を終えるのを悟ったように、逝こうとしている。役割が終わったら去っていく、何とも健気だ。
 しかし、まだ死んではいない。半日か一日か二日か僅かな時間だが、できる限りのことをしよう。家族で動いた。会話も減り、食事もバラバラ、離れた夫婦、親子、家族をビスコの存在がまた結んだ。私は輸血の犬を求めて公園へ急いだ。形振り構わず拝み倒して輸血を頼もう。日中、犬を連れている人は見つからない。そこへ輸血を登録している家が病院に来てくれると連絡が入り、戻った。ガタイのいい、ふくよかなブルドックだった。が、ビスコの血と合わなかった。この病院での術は無くなった。妻と子どもは輸血をやってもらえる病院や施設を探した。連れて来てもいいという病院が見つかった。急いで連れて行った。そこの獣医は、世に出回っていないが人間の薬を使った例がある、それを投与する、という。この病院は保護犬を引き取り、“スタッフ”として輸血できるようにしている。ビスコを預けた。望みはつないだが、予断は許さない。深夜、輸血に同意するかどうかの連絡が入った。幸い、保護犬“スタッフ”の血は適応できる。最後の最後の賭け。
 翌朝、免疫が赤血球を破壊するのが止まった。薬が効いたのだ。ビスコは生き延びた。もう10歳、いつ死んでもおかしくない。ただ、セラピーとして家族を守ってくれた、お礼ができる時間はできた。

西郡学習道場代表 西郡文啓


著者|西郡文啓

西郡文啓 1958年生まれ。県立熊本高校卒業。高濱代表とは高校の同級生、以来、小説、絵画、映画、演劇、音楽、哲学等、あらゆるジャンルの芸術、学問を語り合ってきた仲。高濱代表が花まる学習会を設立時に参加。スクールFCの立ち上げを経て、花まるグループ内に「子ども自身が自分の学習に正面から向き合う場」として西郡学習道場を設立する。2015年度より、「地域おこし協力隊」として、武雄市の小学校に常駐。現在「官民一体型学校」として指定を受けた小学校「武雄花まる学園」にて、学校の先生とともに、小学校の中で花まるメソッドを浸透させていくことに尽力中。

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