Hくんは、体験記をこう書きだした。
「4道(4年生のコース)から5受(5年受験科コース)に進級して、いよいよがんばるぞ!! という炎は一瞬にしてバケツの水をかけられたように消された。課題をやるのに一苦労、先生もいよいよチビオニ化して、授業もきびしくなった。そこから、ぼくのやる気はスカイツリーのてっぺんから落下した」
「ついに6受(6年受験科コース)が始まった。もう気が重い。僕の心にレンガが置かれた。そのレンガはすごく重い。課題が増え、もうやめたいと思った」
受験学習のカリキュラムは5年生から6年生の1学期までで一通り終える。その間、新しい知識や技術がどんどん注入され、習得と定着に追い立てられ、学習の難しさと時間の切迫に受験生は苦しむ。Hくんも「バケツの水をかけられた」「授業もきびしくなった」「心にレンガが置かれた」状態だったが、なんとか6年生になるまで受験学習を続けていた。
真剣な話をすると機知でかわしたり、日記を言葉でなくマンガのように描いたり、体験記でも比喩表現でおもしろがっているHくんにはユーモアがある。このユーモアがおちゃらけた態度として映り、受験学習に耐えられず、逃げ出したいという、張り裂けるような深刻な彼の心情を見えにくくしていた。
母親はこの頃の彼をこう書いている。
「6年生の5月に初めて受けた模試の結果を見てびっくり!! 志望校に偏差値20以上も足りませんでした。それから私は急にスイッチが入り、勉強に口を出すようになりました。やる気になった私は本人を置き去りにして暴走しました(もちろん、その当時は気づいていません)。6月頃から息子の様子が変になってきました。目の焦点が定まっていない、物忘れがひど過ぎる、手がつけられないほどキレる…などなど」
この精神状態で受験学習を続けるのは何のための学習なのか。彼を指導する道場スタッフと相談して、母親は受験学習を止める決断をした。
母親は続ける。
「本当に受験をしたいのかどうかを考える2週間です。私にとってとても長く感じる2週間でした。この期間を経て、受験を諦める結果になってもいい! と口では言っていましたが、ここまで頑張ってきたから何とか続けてほしい! と思っている私がいました」
彼の出した結論は「受験をする」だった。母親は「2週間の休みを経て息子が受験を自分事としてとらえられるようになりました」と感じていた。学習は自分事として取り組んで初めて身につく。彼の本気の受験学習が始まった。
しかし、気持ちが前向きに切りかわってもすぐに結果はでない。
「結局 、11月の最後の模試でもF判定。 偏差値は20以上届いていないままでした。でも道場の先生が誰よりも息子の可能性を信じてくださいました。『まだいまはサナギです。蝶として飛び立つタイミングを待っているんです。そのタイミングが来ていないのに 無理やり飛び立たせようとしてもダメ。蝶になるタイミングが必ずくるので待ってあげてください』と先生は仰ってくださいました」
Hくんは、受験当日を迎える。
「もう、きん張しすぎてトイレに2回行った。しかも、きん張しすぎて木製の弓矢が刺さった。心呼吸してその弓矢をぬいた」
「第二志望の1回目合格、意外と自信があったので、びっくりしなかった。本命の第一志望も合格だった。その時のテストはいままででも一番できたと自分でも感じていたから、少し期待していた。でも結果を見たとき名前を間違えていないかな! とうたがってしまったくらいだ」
そして、「蝶になるタイミング!」と母親は感じた。
「入試当日の朝『ようやく受験できる! 楽しみだ!』とテンション高く、スキップしながら学校へ入っていった息子を私は不安もありましたが誇らしく思いました。きっとこれまで 息子なりに一生懸命頑張ってきたからこそ、サナギから蝶になるタイミングが来たのでしょう。楽しんで受験当日を迎えることが出来、試験終了後も『楽しかったー! 覚醒した!』と言った息子は見事、合格を勝ち取りました。もちろん結果が良かったからかもしれませんが、とても楽しい受験でした」
子どもの受験を初めて経験する母親として、こう語ってくれた。
「もし結果が出ていなくても、この受験をとおして息子の成長を感じることができましたし、受験は私ではなく、あくまでも息子が挑むもの。母親の私はおいしいごはんを作ったり応援したりして頑張っているのを認めることにより、息子が少しでも元気に戦えるようにすることが私の役割だと気づけました。これは中学受験だけでなく、これからの息子の人生に対してすべてつながることだと思います」
西郡学習道場代表 西郡文啓
🌸著者|西郡文啓
1958年生まれ。県立熊本高校卒業。高濱代表とは高校の同級生、以来、小説、絵画、映画、演劇、音楽、哲学等、あらゆるジャンルの芸術、学問を語り合ってきた仲。高濱代表が花まる学習会を設立時に参加。スクールFCの立ち上げを経て、花まるグループ内に「子ども自身が自分の学習に正面から向き合う場」として西郡学習道場を設立する。2015年度より、「地域おこし協力隊」として、武雄市の小学校に常駐。現在「官民一体型学校」として指定を受けた小学校「武雄花まる学園」にて、学校の先生とともに、小学校の中で花まるメソッドを浸透させていくことに尽力中。