オンライン授業には、コロナ感染対策、通塾に伴う事故や事件のリスク軽減というメリットがある。さらに、家庭にいる安心・安全が、子どもの内面を引き出し、自分自身でいられる解放感がより集中力を生み出す。オンライン授業には映像で理解を深める視覚効果と、反復して見ることができる学習効果がある。小学生から試行錯誤して自分自身の学習の仕方を作り出し始める。自分と向き合う自学は、ある程度の量は必要になる。すぐにはできない、やり続けること。オンラインはスイッチオンで即、自学室に入ることができる。オンラインは自分自身の部屋と切磋琢磨をする空間を共有する。
そして、オンラインを活かすのは双方向性。私たちからの一方通行の映像授業や情報提供ではオンラインを活かしているとはいえない。“子どもたちの学習への意識改革““学習を自分事として捉えてほしい““生涯、学び続ける基礎を小学生の段階でつくりたい“という思いで学習道場をつくった。意識改革は対話から始まる。自学室でも授業でも、オンラインでは即、別室をつくって、子どもたちと話ができる。宿題や課題がやってこられない場合、できないことを責めたり叱ったりして表向きはよくなっても、続かない。できないのには理由がある。自学室で子どもたちを見ているとよくわかる。無駄が多い。集中が続かない。オンラインのよさは子どもたちの課題に取り組む様子をあるがまま見ることができることだ。今、何をやっているか聞く。計算と答えれば、何問あるのか聞く、そのぐらいの問題数なら、一気にやってみてと伝える。はい、今、手が止まったよ、と声をかけると、子どもはハッとする。無意識の中座、これが学習を妨げる要因。持って生まれた能力は違うが、訓練と意志で伸ばせる。無意識な中座を意識させること。意識改革というと堅苦しく難しく響くが、要は、今の自分を気付かせてあげることだ。オンラインは即効性があり、自学こそ可視化したい。自分の学習の癖が曝け出せる。どうすればいい、どうしたいのかを自分の言葉で言うことが大切だ。問い詰めるのではなく、塩梅が大事。聞き方ひとつで気づかせることだ。自分の言葉で自分が気づく。オンラインは個別対応が機能的で、何より敏速だ。即、対応がオンラインの真価だ。
オンラインでは、すべて家庭での授業・学習はオープン、曝け出す、開かれた教室になる。真のリラックス、心身を解放して初めて集中できる。ただ、リラックスが度を過ぎるとだらしたくなる。オンラインでは誤魔化そうとすれば誤魔化すこともできる。授業を受けるふりをして、YouTubeを見ていた子どもがいた。字が汚くても平気、適当に丸を付けたり、画面を見ているふりもできる。姿勢も崩すことも、できたところだけ見せることも、画面をオフにして逃避もできる。リアルな教室では、私たちの監視があり、すぐに指摘され許されない。
しかし、どうだろうか。リアル授業は監視ができるからいいのだろうか。むしろ、敢えてオンラインのみに踏み切ったのは誤魔化せる環境だからだ。誤魔化しやふりは生涯のうちでいつか辞めるときがくる。そんなことをしても生きてはいけないとわかるからだ。中学受験か高校受験か大学受験か、働いてからか。いつかは悟る。幼児期からできている子もいる。才能ではなく家庭環境。
監視をしていないとやらないから塾に通っているわけではない。本末転倒。監視をしなくても自分の学習に正直に向かうようになるために塾に通っている。中学受験に挑む子どもたちは、いずれ、誤魔化してもできたふりをしても入試問題は解けないことがわかる。中学受験のメリットは合格という目標が持てることと誤魔化しの無意味さを悟ることだ。私は授業や自学の開始時のホームルームで、「オンラインでの大切なことは誤魔化さないことです。自分ができないことをあるがままに曝けだしてください。できない、わからないからここに来ています。誤魔化す人はオンラインで学習することはできません。」と、子どもたちに届くまで言い続けている。
西郡学習道場代表 西郡文啓
1958年生まれ。県立熊本高校卒業。高濱代表とは高校の同級生、以来、小説、絵画、映画、演劇、音楽、哲学等、あらゆるジャンルの芸術、学問を語り合ってきた仲。高濱代表が花まる学習会を設立時に参加。スクールFCの立ち上げを経て、花まるグループ内に「子ども自身が自分の学習に正面から向き合う場」として西郡学習道場を設立する。2015年度より、「地域おこし協力隊」として、武雄市の小学校に常駐。現在「官民一体型学校」として指定を受けた小学校「武雄花まる学園」にて、学校の先生とともに、小学校の中で花まるメソッドを浸透させていくことに尽力中。