【西郡コラム】『私の、算数・数学で学んだこと ②』 2024年6月

【西郡コラム】『私の、算数・数学で学んだこと ②』 2024年6月

 中学校で数学を教えていた川上という男の先生が小学校に赴任してきて、5・6年生の私の担任になった。40歳後半ぐらいの、やせてひょろりとしているが背筋は伸びて姿勢がよく、たいていは背広にネクタイをつけて授業をする、几帳面な方だった。感情の起伏を表に出さず、声を荒らげて叱ることもなく淡々とぼくとつに話す。数学の専門だけあって算数の解法の説明が理路整然として、一つひとつがすんなりと納得できた。授業に惹き込まれ、集中して算数に取り組めたのでおもしろかった。抑揚のない話し方で展開される算数の授業に、興味を持って聞いていた級友は少なかったが、いつもはポカンとしている子や手遊びの多い子も授業には参加していた。
 教える内容に造詣が深くないと、そのおもしろさは伝わらない。子どもに教えるならその内容に精通すること、いま、指導する立場の私への教訓になっている。そして、人柄が大事。話し方はおもしろくなくとも、なにか惹かれる、飾らない誠実な人柄は内容を強調する。私のようなひねくれた子どもは、先生業特有のオーバーアクションのパフォーマンスは嘘くさく感じるが、川上先生のように定理や解法を、理論的に誠実にぼそぼそと話してくれると頭に入ってきて、算数の問題を考える空間に浸ることができた。
 落ち着きのない性格は体を動かすことに向かい、じっとして本を読む習慣はなかったから、言葉を多く必要とする教科にはのめり込めなかった。特に、国語で点は取れなかった。筆者、作者の意図や登場人物の心情を問う類の問題は、私の読みが浅いうえに、素直に受け取らずひねた読み取りをするから、ことごとく間違えた。間違えても、自分の思ったことだからこれでいい、と反省や振り返りがないから進歩もなく、国語の学力は低迷した。解法に曖昧さがない算数は潔いと思い込み、好きになった。
 親元から離れ祖父に預けられて、ますますまわりを冷めた目で、俯瞰するようになった。父が赴任先から母と弟と戻ってきても、嬉しい、安心したといった感情はなかった。生活は親に依存するも、気持ちの面で“親離れ”しつつあった。低学年の頃とは真逆に、他者の言動に対して過剰に意識するようになった。他人から受ける粗雑な言動や愛憎の視線が気になり煩わしく感じて、自分が傷つかないように人と距離を置き、自分の世界に入って、人間関係などもふくめ些細なことでも、深く、真剣に悩み考えていた。悩み考えることが日常になっていたから、算数の問題を考えることには抵抗はなかった。むしろ煩わしさから解放されて、問題を解くことに没頭できた。
 中学校では野球部に入った。1年生は声出しと球拾いとランニングの毎日。上下関係は厳しく、上級生に出くわすと所かまわず直立不動、大声で挨拶をする。顧問の先生はめったに顔を出さず、最上級生の3年生の好き勝手な練習は日没まで続く。へとへとになって家に帰って飯を食って風呂に入って寝る、の生活だった。
 少ない学習時間のなかでも、数学を優先した。数学は覚えることは少ない。公式を覚えれば、いかに手を早く動かせるか、頭を回転させられるかだから、効率よく学習できた。数十問ならぶ計算問題を一目見て、できると判断すれば、難易度の高そうな計算問題を一問だけやってみて、スラスラとミスなく解ければほかの問題もできると判断して次に進む。自分の基準をしっかり見据えて学習を進めるやり方は、時間のない逆境で身についていった。
 『数学辞典』という分厚い一冊の本を買って、自力で解いた。問題を見て解法の手順が浮かべば、解答で確認する。解法が見えない、自信がない問題は自分で解けるまで、これまでに学んだ解法をあれこれ駆使して考える。あきらめずにやり続けて、自力で答えまでたどりついたときの喜びは大きかった。試行錯誤すること、できちゃった、わかっちゃった体験を分厚い『数学辞典』の独学で学んだ。
 これ以上考えても思いつかない、わからない、時間を費やしても無駄と思えば、あきらめて解答を見た。この解法はわからなかった、この発想は思いつかなかった。こういったときは自分の限界を感じ、俺は頭が悪いとつくづく思った。それでも、できるようになりたい、解きたいと気持ちを奮い立たせて、何か解決の方法はきっとあるはず、発想を変えろ、一から見直せ、などと言い聞かせて取り組んだ。
 算数、数学の問題を解く過程で、論理、意志、意欲、集中力、発想、試行錯誤、継続、向上心、グリット、レジリエンスなどを学ぶ。

西郡学習道場代表 西郡文啓


🌸著者|西郡文啓

西郡文啓 1958年生まれ。県立熊本高校卒業。高濱代表とは高校の同級生、以来、小説、絵画、映画、演劇、音楽、哲学等、あらゆるジャンルの芸術、学問を語り合ってきた仲。高濱代表が花まる学習会を設立時に参加。スクールFCの立ち上げを経て、花まるグループ内に「子ども自身が自分の学習に正面から向き合う場」として西郡学習道場を設立する。2015年度より、「地域おこし協力隊」として、武雄市の小学校に常駐。現在「官民一体型学校」として指定を受けた小学校「武雄花まる学園」にて、学校の先生とともに、小学校の中で花まるメソッドを浸透させていくことに尽力中。

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