【花まるコラム】『モノの裏側のストーリー』加藤崇彰

【花まるコラム】『モノの裏側のストーリー』加藤崇彰

 私は、北海道十勝に住んでいた頃、3か月間ほど、酪農家さんのお仕事を手伝う機会がありました。酪農家の朝はとても早く、朝5時には仕事が始まります。まだ日も昇っていない真っ暗闇のなか、気温がマイナス15度を下回ると鼻のなかがバリバリに凍り出し、手先の感覚もどんどんとなくなっていきます。そんななか、眠い目をこすりながら寝床を掃除し、牛にエサをあげ、乳しぼりが始まります。搾乳室には、ホワイトボードに牛1頭1頭の特徴が書かれており、搾りすぎて乳房が炎症を起こさないようにと細心の注意を払いながら搾乳を行います。50頭近くの牛のお乳を約1時間半かけて丁寧に搾り、搾乳が終わると時刻は7時半。そこから搾乳室と牛舎の糞尿を綺麗に掃除し、9時頃には朝の部が終了します。1時間の休憩を挟み、昼間は牧場の環境整備やその時々の仕事を行います。そして、夕方5時から再び搾乳がスタートします。

 この作業を、酪農家さんは365日、毎日休むことなく行っています。酪農ヘルパーという制度があり、何か用事があるときはヘルパーさんを頼むことができますが、それも地区によっては抽選、予約制。だから、急に風邪を引いても、ヘルパーさんを頼めなかったら自分らで仕事をするしかないのです。人間がぎっくり腰になろうが、病気になろうが、牛は毎日お乳を出します。お乳を搾らないと乳房がパンパンに張って、炎症を起こしてしまうのです。

 毎日毎日、酪農家さんのお仕事は、同じ作業の繰り返しかと思いきや、そうではありません。牛も我々と同じ生き物です。体調を崩してエサをまったく食べなかったり、足を滑らせてケガをしてしまったり、ときには電気牧柵を壊して脱走したりすることも…。

 ある朝、いつものように牛舎に向かうと、1頭の子牛が生まれていました。そしてその傍には、お産を終えた母牛が横になっていました。「頑張ったね、お疲れさま」と声をかけたのもつかの間、その母牛は出産後に低カルシウム血症になり、立ち上がることができなくなってしまっていたのです。獣医さんがすぐに駆けつけて治療をするも、なかなか起き上がれません。重機を使って体を起こすサポートをしても、起き上がれません。結局、何日経ってもその牛は立ち上がることができませんでした。ずっと横になっていたせいで、足を痛めてしまいました。そして、その後に残された選択肢は、廃用でした。大きなトラックがやってきて、生きている母牛が、私の目の前で吊り上げられて、トラックの荷台に乗せられます。近くにいた一頭の牛が、「ウゴォ―ッ、ウゴォーッ」といままでに聞いたことのないような声で鳴き、私に必死に訴えかけているようで、胸の奥がギュッと締めつけられました。そして、そのときの吊り上げられた母牛の瞳が、いまでも忘れられません。

 この牧場では、普段から牛を大切に育てていて、一頭一頭に名前がつけられています。お乳の出が悪くなった牛も、なるべく長く飼ってあげたいという牧場主の想いから、この牧場にはおばあさん牛がたくさんいます。「良かったことも悪かったことも全部牛が教えてくれる。牛は家族であり、先生でもある。また明日から、牛が快適に過ごし、おいしい牛乳を分けてもらえるよう、毎日牛と向き合っていくよ」と酪農家さんはおっしゃっていました。今回の廃用という決断は、酪農家にとっては苦渋の選択。でもこれが現実なのだと、とても複雑な気持ちになりました。毎日、私たちが、当たり前のようにおいしい牛乳を飲むことができるのも、そんな酪農家さんの血のにじむような努力があり、そして毎日大切な自分の血液(お乳)を分けてくれる牛さんのおかげです。

 現代社会はモノに溢れていて、欲しいものもワンクリックで自宅に届く時代です。何か「つながり」が希薄になっているように感じるときもあります。でも、朝食の牛乳一杯に思いを馳せれば、そこにはたくさんの「つながり」があります。目の前のモノに思いを馳せたとき、いつもの当たり前の生活が、当たり前ではないことに気づかされます。そして、その「つながり」こそ、心の豊かさにつながるのではないでしょうか。

花まる学習会 加藤崇彰(2021年)


*・*・*花まる教室長コラム*・*・*

それぞれの教室長が、子どもたちとの日々のかかわりのなかでの気づきや思いをまとめたものです。毎月末に発行している花まるだよりとともに、会員の皆様にお渡ししています。

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