新しい生活が始まる4月。楽しみなこともあれば、不安なこともあるかと思います。教室でも、一つ学年が上がり、学習の内容の変化に戸惑いつつも一生懸命に取り組んでいる子どもたちの様子が見られます。
1年生のRくん。文字の読み書きがまだスムーズにできず、苦手意識があります。焦る必要はないのですが、Rくんは「読めない自分」に納得がいかず、算数プリントの問題文を見るなり「やりたくない!」と私に訴えてきました。私が文字を指でなぞりながら問題文を声に出して読み上げると、さっと解くことができました。
自分でできるはずなのに、できない。Rくんはそんな自分にもどかしさを感じているように見えました。
そんな子どもたちの様子を見ると、いつも思い出すことがあります。私が通っていた高校は、文系を選択した人は、理科の科目のなかから生物か地学を選べるようになっていました。動物や植物も、星や天然石の原石を見ることも好きだったため、どちらにしようかとても迷いました。しかし、地学専門のK先生がとても楽しそうに地学の魅力を話していたことと、地学を学べるというもの珍しさから、地学を選択することに決めました。
その地学の授業で出された課題が、作図でした。どのような作図だったか詳しくは覚えていないのですが、とても苦戦したということだけははっきりと覚えています。計算をして、コンパスを使い、正しく作図ができれば、きれいな楕円形ができるものだったと思います。しかし、何が違うのか何度やってもきれいにできません。できないことが悔しくて悔しくて、地学準備室に通いつめ、先生に何度も何度もアドバイスをいただきました。
最終的には、「粘るなあ…」と先生に呆れられるほどでしたが、負けず嫌いな私は、できないと自分に負ける気がして半ば意地になっていました。
中学校の体育の授業ではサッカーのリフティングがどうしてもできなかったり、習っていたピアノでは思うように指が動かなかったり、うまくいかずじれったい思いをしたことはたくさんあるのですが、この高校のときのできごとが一番鮮明に浮かんできます。
じれったい思いをしていた私を、見捨てることなくK先生が見守り続けてくれたこと。これが何より嬉しかったのだと思います。ちなみに、K先生とは、成人したタイミングで友人と一緒に先生のご自宅に招かれ、日本酒でお祝いをしていただくなど、卒業後もしばらくは交流を続けていました。
数年前の雪国スクール。雪遊びのコースに、甘え上手な2年生のMちゃんという子がいました。初めてスキーウェアを着て準備をするとき、Mちゃんはゴーグルを自分でつけられずに、助けを求めてきました。そのときは時間がなく手伝ったのですが、そのあともニット帽とゴーグルがはずれるたびに「やってー!」とお願いしに来ます。
「M、もしかしたら自分でできるかもしれないよ?やってみようよ」と促してみることにしました。最初は泣きそうな顔で「絶対できない…」と言っていたMちゃんですが、少しずつコツをつかみ、もこもこしたニット帽の上からでも自分でゴーグルをつけられるようになったのです。 「私、自分でできるんだぁ…!」「そうだよ!できるんだよ!」と2人で感動を分かち合いました。
ただ、正直なところ、奮闘するMちゃんと同じくらい私もじれったく感じていました。私がやれば、すぐにできる…でもMちゃんにとっては自分でやるという経験も大切だから…という葛藤と戦っていました。
ああ、いままで私がじれったく思いながらやってきたいろいろなことを、K先生や大人たちもじれったく思いながら見守ってくれていたのかな、とそのとき初めて思いました。頑張る子どもたちも、それを見守る大人たちもじれったいですが、子どもの立場からすると、見守り、応援してくれる大人がいるだけで、最後までやり遂げる力がわいてきます。
今度は私が見守る番。子どもたちが前向きに取り組み続けられるように、一緒にじれったい思いをしながら、その成長を見守っていきたいと思います。
花まる学習会 田畑敦子(2022年)
*・*・*花まる教室長コラム*・*・*
それぞれの教室長が、子どもたちとの日々のかかわりのなかでの気づきや思いをまとめたものです。毎月末に発行している花まるだよりとともに、会員の皆様にお渡ししています。