【花まるコラム】『記憶のなかにいる人』小川凌太

【花まるコラム】『記憶のなかにいる人』小川凌太

 先日、あるお母さまとお子さまの反抗期についてお話をしました。いままでは素直に言うことを聞いていたのに、口答えをするようになってきたのだといいます。反抗期とは、みないつかは迎えるものであり、「お子さまが成長している証ですね」と言われるものの、簡単には片付けられないものではないでしょうか。そんなわが子の変化を「成長」として受け止められるようになるには、時間がかかるものなのだと思います。

 思えば、私にも反抗期がありました。特に、中学生時代は最も親に反抗していました。中学卒業を控え、高校の制服の採寸に行ったときのことです。会場に向かう道中、母といっしょに歩くことに、非常に抵抗がありました。「オス」としての自我が強く芽ばえ始めたこともあり、その行為に恥ずかしさがありました。会場までの道のりを決して隣で歩くことがないようにと、なるべく母との距離をとろうと足早に歩いていました。「道に迷っちゃうから、先に行かないでよ」という母の声を無視し、母とはぐれてしまいました。ふり返り、「しまった…」という後悔と「これでいいんだ… 」という気持ちが入り交じっていたことをいまでも覚えています。嫌いではないのに、冷たい態度を取ってしまう。自分でも理由などわからず、心をコントロールできませんでした。その後、母から電話があり、なんとか落ち合えたのですが、そのときにも母に対して「歩くのが、遅いんだよ」と冷たい一言。「俺の制服の採寸なんだから、別に来なくたっていいんだよ!」とさらに追い打ちをかける一言を投げかけてしまいました。なぜそんな態度を取ってしまったのか、「反抗期」という言葉で片付けてしまえば簡単ですが、母にひどいことをしてしまったといまでは深く反省しています。

 私は中学2年生のときに、父を亡くしました。そこから女手一つで育ててくれた母。どんなときでも私の記憶のなかには、笑顔の母がいました。制服の採寸のときに私が厳しい言葉を投げかけても、「そうだね。でも、Aの着る制服だから、お母さんは関係ないけれど、見てもいい?」と温かく包んでくれた母。私がどれだけ強く当たってしまっても、決して突き放すことなく、むしろ受け止めてくれた母。当時は母の温かさに気づくこともできず、冷たい態度を取っていました。
 それでも、記憶のなかにいるのは、いつでも笑顔でいてくれた母。いつでも温かく包み込んでくれた母でした。父を亡くし、「お父さん」という言葉を発することもなくなりました。寂しい気持ちもありました。お父さんといっしょに過ごしている同級生をうらやましく思う気持ちもありました。それでも、いつも笑顔のあなたがいてくれたから、私の心のなかに冷たいすきま風が吹くことはなく、温かいぬくもりに包まれていました。あなたがいてくれたから、いまの私はこうして、自分の足で前を向いて歩いています。感謝してもしきれない。反抗ばかりしていた私を見放すことなく、いつもの母で受け止めてくれたこと。あなたの存在が、どれだけ大きいものなのか、いまになってやっとその想いに気づくことができました。
 
 子どもたちも、いま、「自分でもどうしたらいいのかわからないモヤモヤ」を抱えているかもしれません。それゆえに、安心できる人に思わず当たってしまうこともあるのでしょう。それは子どもたちの心が、大人になろうとしているいわば「成長痛」のようなものなのかもしれません。そして、それを受け止めてくれる存在に気づくのは、もう少し先の話かもしれません。

 それでもいつかは、世界でたった一人のお父さん、お母さんのことを「大切な存在」だと気づき、記憶のなかにいるお父さんとお母さんがこれまでに注いでくれた愛情や、いつでも温かく包み込んでくれたことに気がつくときが必ずくるでしょう。子どもたちが、いつか「お父さん、お母さん、あのときはごめんなさい。そしていままでありがとう」と言える日がくるまで、私も子どもたちの外の師匠として、保護者のみなさまといっしょに歩み続けます。

花まる学習会 小川凌太(2022年)


*・*・*花まる教室長コラム*・*・*

それぞれの教室長が、子どもたちとの日々のかかわりのなかでの気づきや思いをまとめたものです。毎月末に発行している花まるだよりとともに、会員の皆様にお渡ししています。

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