できない、教えてもらったからできた、一人でできた、スラスラできた、説明できた、教えることができた。
言葉にして説明できる、教えることができるまでになると学習の成果も最終の段階になる。
見聞きしたこと、自分の考え、感覚など、あらゆることを言葉にする。
面倒で難しいが、言葉にする力は生きる力になる。
多くのヒット商品を手掛けている、ある著名なデザイナーの話だが、自分のデザインをプレゼンするとき、デザインをビジュアルで見せるだけではなく、すべて言葉で説明できるようにするそうだ。
「この部分はなぜ赤なのか」「なぜこの濃度の赤なのか」、
“ただ何となく”ではなく、それらの意味をすべて言葉にできて初めて、デザインしたと言えるのだという。
感覚を言語化することの意味は二つある。
一つは、「言語という形で自分の中に蓄積させていくことが可能になる」ということ。
蓄積する過程の中で、試行錯誤、再試行を繰り返し、深めている。
もう一つは、「人に的確に伝えることができるようになる」ということ。
一流のスポーツ選手が、必ずしも一流のコーチになれない。
多くの場合、すばらしいノウハウを持っていても、それを言葉で伝えることができないからではないか。
自分の中にあるものを的確に伝えられる要約力や語彙力、表現力などがあってこそ、相手を動かすこともできる。
自分の気持ちを言語化できることも大切だ。
友だちと遊んだ帰り道、原因ははっきりとはわからないけれど、友だちとの会話で何か嫌な感じがしたな、ということは誰にでもある。
それを突き詰めて考えると「自分が馬鹿にされているような話し方だったな」と、原因を洗い出すことができる。
「相手の話に嫉妬してしまっていたな」ということもある。
言語化することで、気持ちが楽になることもある。
「次同じように言われたら、言い返そう」とか、あるいは「もう言わないようにしよう」と考えることもできる。
自分が感じていることを言語化していくことで、自信を持って生きていくことができる。
言葉にすること、言語化は、生きる力の一つになる。
“言葉の力”を養う初歩的な方法は、たくさんしゃべらせることだ。
それには“聞き上手”がいい。
学校から帰ってきた子どもに「今日は何があったの?」と聞く。
大事なのは、返って来た答えの内容をジャッジしないことだ。
目的は子どもから情報を得ることではなく、しゃべらせることにある。
「今日はふざけて教科書に落書きをしたんだ」と子どもが話したとき、「そんなことしちゃダメでしょ!」と小言を言ってしまったら、子どもはもうそれ以上話さない。
無理に引き出そうとする必要もない。
子どもが話したことに対して、「ああ、そうなの」と、同意してあげるだけでいい。
思う存分しゃべらせてあげることができればいい。
会話に結論を求めないことも大切だ。
言語力が発達段階にある子どもとの会話では、質問に対してとんちんかんな答えが返ってくることはよくある。
「今日は何をしたの?」「給食がおいしかったよ」というような会話、ついつい、「そんなこと聞いてないでしょ!」と言ってしまいたくなるが、長い目で粘り強く「ああ、そうなの。面白いね」「うん、うん。それで?」と、聞いてあげてほしい。
また、「今日はどうだった?」のような漠然とした質問ではなく、「今日は体育の時間に何をしたの?」というように、具体的に問いかけてあげるようにするといい。
会話のキャッチボールは言葉を受け取り、投げる、双方の疎通が大切だ。
最初からキャッチボールは上手くいかない。
取り方もぎこちなければ、暴投もする。
正しいフォームを教えるは後のこと。
まずは、子どもから「キャッチボールをしよう!」と言わせることだ。
“言葉の力”をつけるためには、もちろん読書。
文章の表現や語彙など、サンプルをたくさん手に入れることができ、文章を書く力や表現力を高めていくことができる。
書くこともまた、言語化の大事なトレーニング。
立派な作文を書かなくていいから、本当に感じたことを書く、でいい。
事実の羅列ではなく、感じたことを拙いなりに表現しようとしていることを認め、伸ばすことを心掛けたい。
西郡学習道場代表 西郡文啓
1958年生まれ。県立熊本高校卒業。高濱代表とは高校の同級生、以来、小説、絵画、映画、演劇、音楽、哲学等、あらゆるジャンルの芸術、学問を語り合ってきた仲。高濱代表が花まる学習会を設立時に参加。スクールFCの立ち上げを経て、花まるグループ内に「子ども自身が自分の学習に正面から向き合う場」として西郡学習道場を設立する。2015年度より、「地域おこし協力隊」として、武雄市の小学校に常駐。現在「官民一体型学校」として指定を受けた小学校「武雄花まる学園」にて、学校の先生とともに、小学校の中で花まるメソッドを浸透させていくことに尽力中。