【花まるコラム】『至誠には篤実を』水口加奈

【花まるコラム】『至誠には篤実を』水口加奈

 「今日、学校の授業で安楽死、尊厳死について学びました。どうしても感想文が書けませんでした。先生は安楽死、尊厳死についてどう思いますか?」
 彼らしからぬ三文の作文に目が留まりました。実直な彼は「命」「死」というテーマについて、軽々しく書けないと手が止まってしまったのだと思います。真摯に思索する彼に私が自分の意見を伝えるのは無骨だと思い、森鷗外の『高瀬舟』を読んでみて、とだけ伝えその日を終えました。

 『高瀬舟』は、高校の授業でも扱われることの多い作品のため、知っている方も少なくないと思います。喜助は幼い頃に両親を亡くし、病床の弟を養いながら働いていましたが、弟は兄一人に負担をかけていることに負い目を感じ、自殺を図ります。弟は自分の喉に剃刀を当て死のうとしましたが死にきれず、喜助に剃刀を抜いてくれと懇願します。喜助は医者を呼ぼうとしますが、あまりに苦しみ訴える弟の姿に、最後は覚悟を決め剃刀を抜いてやります。弟殺しの罪で流罪になり高瀬舟に乗っている喜助の話を聞いた護送役の庄兵衛は、弟の願い通りに動いた喜助が罪人なのか、と思い悩みます。 
 喜助の罪は正確に言えば、安楽死でも尊厳死でもなく自殺関与・同意殺人罪にあたるのだと思いますが、近いところの感覚は掴めるのではないかと思い、『高瀬舟』という作品に託しました。高学年とはいえ小学生には重い話であることも考慮した上で、それでも、彼がいま対峙しているこの大切な瞬間に直球でぶつかりたかった。彼なら何かを得てくれるであろうと。

 次の週、彼は即座に私のところに来て、誠実な目で話し出しました。
 「正直、まだ何が正しいのかはわかりません。友達が苦しんでいたら、たぶん僕は剃刀を抜いてあげます。でも、両親だったら、抜けないと思います。でもそれは、友達が大事じゃないとか、そういうことではないです」
 もう、百点満点の、それ以上の答えでした。置かれた立場、相手、状況、環境、さまざまな背景によって、答えは幾重にもある。読了後に私の意見を伝えようと思っていましたが、彼にはもう不要でした。

 4月14日に祖母が亡くなりました。97歳でした。余命半年を宣告されてから2年半、最後は管でつながれて生かされているだけの状態でした。入院する前の数年、認知症を患った祖母の通院に付き添いましたが、車の中でずっとごめんねごめんねと謝り続けていた祖母。人に迷惑をかけることを何よりも忌み嫌う祖母にとって、不本意な時間をも生きたのだと思います。でも、意識がないなかでつないだ命は、生きたいという祖母の意志のようにも感じ取れました。
 私がもし祖母の立場に置かれたら、すぐにでも管を抜いて死なせてほしいと願う。病気で余命いくばくもなくただ苦しむだけの人生なら、安楽死を選択して安らかに逝きたい。両親や祖父母がそう願うのなら、望み通りにしてあげたいと思う。でもそれがわが子なら、どんなに懇願されようと、どんなに低い可能性であろうと、一縷の望みにすがって延命を望んでしまうかもしれない。

 『高瀬舟』は1916年に発表された、医師でもある森鷗外の作品です。安楽死、尊厳死について、100年以上経ったいまもなお議論は深まっておらず、合法化には至っていません。今後ますます高齢化の進む日本にとって、避けては通れない問題です。そこは絶対に、AIが太刀打ちできない、人の情と機微が働かなくてはなりません。答えがないからこそ、たくさんの知識と経験と人の想いを乗せた、臨機応変な法律が必要です。

 ほかにも社会には答えのない問題が山積みです。そういった問題に対峙することが、社会で生きる、ということなのかもしれません。明確な答えが存在する学生時代の勉強とは大きく異なります。

 でも、謹直で優しい彼らがいる未来なら、きっと大丈夫。コロナ禍をも生き抜いた子どもたちが必ず、試行錯誤しながら、制限があるなかでの最善にたどり着いてくれる。そう信じています。

 遺影の祖母の顔があまりにもかわいかったから、思わず笑い返してしまいました。
 おばあちゃん、ありがとう。私の未来は安泰そうだよ。

花まる学習会 水口加奈(2024年)


*・*・*花まる教室長コラム*・*・*

それぞれの教室長が、子どもたちとの日々のかかわりのなかでの気づきや思いをまとめたものです。毎月末に発行している花まるだよりとともに、会員の皆様にお渡ししています。

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