【高濱コラム】『ストライクとボール~卒業するキミへ~』 2023年3月

【高濱コラム】『ストライクとボール~卒業するキミへ~』 2023年3月

 先月号で書きましたが、もともと長い間友人だった小川哲という作家が、この国の文学賞としては最高峰の賞の一つ「直木賞」を手にしました。先日、少人数でお祝いの食事会をしたんだけれど、そのときの雑談が実におもしろかったので、報告するね。
 野球の審判の判定に、「ストライクかボールか」というのがあるのは知っているよね。小川さんは、それが昔から疑問で疑問でしょうがなかったそうです。ストライクとは「打つ」という動詞(動作を表す言葉)なのに、ボールは「球」という名詞(モノや人などを表す言葉)。なぜ違う性質の言葉が使われているんだろう、と。
 誰に聞いても答えられないし、どこにも書かれていないので、彼は「野球はそもそもアメリカ発祥のスポーツだ」という理由で、アメリカの本や文献を調べたそうです。すると、ある本に、英語の文章としてちゃんと解説が載っていた。
 それはこういう理由です。もともとのんびりした時代に、適当に投げてバッターは打ちたい球を打っていた。ところがあるときから、バッターのなかに、いつまでも打とうとせず、相手を疲れさせるために何球も投げさせようとする者たちが出現した。それで、「こんな真ん中に入っているんだから、お前打てよ(ストライク!)」という意味で、ストライクという発声が生まれた。ところが今度はピッチャーのなかに、何球も外れるボールを投げて相手が油断したときに真ん中に投げるような汚い作戦を取る者たちが出てきた。それでストライクゾーンから外れるボールに、君が投げたのは、「アンフェアボール(不正な球)」だぞという宣言として「ボール!」という発声が生まれた。ざっくりこういう意味です。つまりストライクは「打ちなさい」という動詞の意味だし、ボールは「いまのは、悪い球!」という名詞だった、というのです。

 どうだろう。おもしろいでしょう。たった一つのエピソードだけれど、ここには、みんなが学ぶべきことが、隠されていると思います。ひとかたならぬことを成し遂げる人って、やっぱり普通の人がやりすごす領域のことを集中力を持ってやりきっているんだよね。では、彼の雑談のなかから、宝物を発掘してみよう。

1 気づく力
 ストライクも、ボールも、聞けばみんな「知ってるよ」と答える。ところが「なぜ動詞と名詞なんだ?」という気づきを持つ人は、ほとんどいない。長年、教育の世界で仕事をし、経営者として多くの尊敬できる人物を見てきたけれど、この気づく力こそは、ほかの誰にもできない何事かを達成する最初の一歩だと感じます。もっと正確に言うと、実は普段の生活のなかで、みんな「ん?」と一瞬違和感を覚えるんだけれど、たいてい「ま、いいか」と流してやがて忘れてしまうんだよね。せっかくの気づきという宝石の原石をすぐに放り出してしまうのが凡人、とも言えるかもしれない。
 すごいなあと思うのは、2時間ほどの打ち解けた会話のなかに、ストライクとボールの話のようなおもしろい話題が、小川さんの口から次々に出たこと。日々の集積だし、こういう状態を感受性が瑞々しいと言うんだろうなと思ったよ。
 痛かったのは、彼が、「疑問を持った学生時代、野球部の友達などに片っ端から声をかけたけれど、誰一人、この疑問を持っていなかったのには心底ガッカリした」と発言したときです。高校で野球部だった私に言われているようで、本当に恥ずかしい気持ちになりました。あなたは、みんなが「こんなの当たり前」と思っていることにも、「本当にそうか?」といつも疑いを持って見つめてください。そして、ほんの少しでも「ん?」と感じることがあったら、メモをしてためておくと良いでしょう。

2 調べる力
 次にすごいのは、外国語の文献を調べてみた行動力。直木賞を取った『地図と拳』という小説は、昭和の世界の歴史を踏まえた作品なんだけれど、小川さんは科目としての歴史は得意ではなかった。けれども、必要となれば調べ尽くすという。「大変だったでしょう」と聞くと、「調べるのは好きなんで、まったく苦にならないです」と言っていました。これは、学べるよね。調べることは、不明だったことが「わかった!」となること。ぜひみんなも、調べることが大好きな人であってください。

3 英語力
 なぜ語学を学ぶのかの、お手本の答えがここにあるよね。外国語の文献を当たらないと理解できないことは、常にたくさん存在する。そういうとき、自由自在に調べられる土台としての英語力があると素晴らしいよね。これからみんなは本格的に英語を学んでいく年齢になるけれど、ぜひ小川さんの事例を忘れないでいてください。やらされるだけだと物事は苦しいけれど、「私自身が世界のいろいろなことを知るために、やるんだ」と決意して学びはじめると、定着も違うし楽しいよ。
 さらに言うと、「このことは、次代を生きる子どもたちには、ぜひとも身につけてほしい、知っていてほしい」と先輩の大人たちが煎じ詰め選び抜いたこと、義務教育として学ばせたいくらいに大事なことが、それぞれの授業、特に教科書には詰め込まれている。「テストという他人が作った評価基準で少しでも良い点数を取るために」という姿勢では、おもしろくないしいずれ挫折してしまうだろうけれど、「自分のため。自分がこれからの人生で活かすためだ。全部理解して身につけるぞ」と決意して学べば、本当に素晴らしいことだし、豊かな未来を生きていけるようになるよ。

 以上は、一人の人物の、たった一つのエピソード・言葉から抽出した学びですが、世界には、魅力的な大人はたっくさんいて、みんながこのような学びをくれるよ。どう?楽しそうでしょう、これから学べることが。
 いま、大人の人たちのなかには、「ここじゃないどこかに転職したいけれど、やりたいことが見つからない」というような可哀そうな人たちがたくさんいるんだ。あなたには、決してそうなってほしくない。そして、そうならないためにできることはシンプルなことで、「ブームだから」「みんながそういう考えだから」と流されたりせずに、「自分の感じたこと・考えたこと・言葉」に、小川さんのようにとことんこだわって毎日を生きることだろう。

 あなたは、コロナ禍という特別な時代を過ごしました。きっと辛かったことや大変な想いもあったでしょう。でも、いつの時代にも素敵な人はいます。そこには愚痴や嘆きや他人との比較はなく、環境にせよ自分の能力にせよ「そこにあるもの」を土台に、最高の人生ゲームを自ら構築しようという態度があるだけだと思います。厳しい時代を過ごしたからこそ、あなたのなかには貴重な経験と想いがあるはず。自分を信じて、一歩一歩、歩いていってください。人生は本当に楽しいよ!
 私も花まるの先生たちも、ずっと味方です。困ったらいつでも相談に乗るからね。
 卒業おめでとう!

花まる学習会代表 高濱正伸


🌸著者|高濱正伸

高濱 正伸 花まる学習会代表、NPO法人子育て応援隊むぎぐみ理事長、算数オリンピック委員会作問委員、日本棋院理事。1959年熊本県生まれ。東京大学卒、同大学院修了。1993年、「メシが食える大人に育てる」という理念のもと、「花まる学習会」を設立。「親だからできること」など大好評の講演会は全国で年間約130開催しており、これまでにのべ20万人以上が参加している。『伸び続ける子が育つお母さんの習慣』『算数脳パズルなぞぺ~』シリーズ、『メシが食える大人になる!よのなかルールブック』など、著書多数。

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