【高濱コラム】『体験という贈り物』 2023年7・8月

【高濱コラム】『体験という贈り物』 2023年7・8月

 アマゾンで、飛行機が落下したのに、生き残った4人の子どもたちが40日もジャングルで生き延びて救助されたというニュースがありました。13歳の長女を頭に、9歳の長男、4歳の次女、11か月乳児の三女。ジャングルには食べられる木の実だってあるだろうけれど、毒のものだってたくさんある。昼は酷暑、夜は寒く風雨も強烈だと言いますし、さらには毒蛇や猛獣もいる。建物もないなか、どうやって生き延びたのか。ここまでの情報だと、もともとジャングルで暮らす先住民の子たちで、幼児期から食べられる植物の見分け方や、木の枝や葉っぱでシェルターを作る方法など、森のなかで生き延びる知恵を教え込まれていたと伝えられています。
 こういう情報を聞くと、ある種のロマンというか「文明の進化した側の子どもたちだったら全員すぐに亡くなっていただろう。すごいよな」と、自らを卑下するような思いも湧くものですが、9割9分の子がジャングルで子どもだけで生き延びるという状況にはならないに決まっているわけで、それよりもこれからの時代を生きる子どもに降りかかりそうな条件をしっかり考え抜き、生きる知恵を授けることが大事でしょう。

 それは、情報のジャングルでフェイクニュースや煽りコメントに翻弄されて道を見失わない心構えでもあるでしょうし、ChatGPTが典型ですが、天候の急変のようにある日景色が変わる技術革新に柔軟に対応できる力でもあるでしょう。また大地震や線状降水帯による豪雨、パンデミックなど、何度か訪れる昔から変わらぬ試練をどう乗り越えるかの具体策や準備を知ることでもあるでしょう。いずれにせよ、ある人間群が生き抜くには、リーダーのビジョンや統率力が大事なことは確かで、13歳のお姉さんが、乳児すら抱えながらどんな景色や課題を見て決断し声かけしていたのか、知りたいなとは思いますし、芯にある「生きねば」という心の強さには、学ぶべきものがあると思います。

 さて、『週刊ダイヤモンド』という雑誌の書評欄を任されて数年経ちます。2〜3か月に一回くらい教育分野の書籍を担当するのですが、読書はもちろん喜びである一方、仕事として読ま「ねばならない」ものとなると、少し負担と感じることもあります。しかしだからこそ、あれこれ探した結果出合える本もあって、それがおもしろいと宝くじに当たったような嬉しさがあります。
 アメリカのベストセラーだという『傷つきやすいアメリカの大学生たち(草思社)』が、そういう本でした。2010年代に入って、大学キャンパスでこれまでにない異様な光景が繰り返されるようになった。メディアやSNSでの誰かの発信のなかの言葉尻を捉え焦点を当てて、つるし上げ糾弾し暴力まで振るうような学生群が出現した。それも特定の団体だけではなく、さまざまな立場のグループでそうなってきた。そして何より、十代の若者のうつ病や不安症や自殺が明らかに増えた。それらの理由をデータやファクトに基づいて調査研究した書籍です。

 おもしろかったのは、その大きな原因を、「過干渉・過保護・あまやかし」に求めている点です。特に、「子ども時代に親元を離れて、親の目の届かないところで自由に遊ぶこと」を「何かあったらどうするんですか」というように禁止し、なくしてしまったことが、最大の原因であるとしています。そして、肉体の免疫系と同じで、心の面でも人間関係などで幼い頃に辛い目に遭って乗り越えるからこそ、のちのちそのような逆境やトラブルにたくましく対処することができるのに、ちょっと子ども同士の喧嘩やもめごとがあると、問題視して除菌するようにそれらを回避させ、場合によっては学校を攻撃する傾向についても、悪しき忌まわしき「安全イズム」という言葉で批判しています。

 日本の社会的引きこもりの問題の根っこにも、同じ病巣があることは、あちこちで指摘されていることですが、アメリカでも同様な心の病が、過干渉・過保護によって広がっているのは驚きました。ついでに言うと、知り合いを通じて、つい先日上海からのお客さんが相談に見えたのですが、かの国でも不登校や若者の自殺が急増し、自立への不安を抱えた人が増えているし、対策として打つ手なしの家庭がたくさんあるのだそうです。つまりは、人類全体として経済がある程度成長すると、物に不自由することはなくなるし、どんどん便利で快適になる一方で、子どもの心が弱くなる問題が生まれるということでしょう。「文明の発展に伴う副作用」と言えるかもしれません。本のなかでは、歴史的に見て「子育ての安全性は高まっているが、そのことによって逆に子どもたちの恐怖心も高まっている」とも述べています。そして対策として「適度に年齢に合った方法で、ストレスにさらされること」がたくましく有能な大人になるために必要と説き、「大人の監視がないところでリスクを取る行為」の重要性を強調しています。

 ジャン=ジャック・ルソーが、子の自立を目標としたときに、母親による過干渉こそが「最も残忍な行為」と述べてから200年。今や、便利で不自由のない世の中であればこその「豊かさの病(心を強く育てるためにあるべき『厳しさ』よりも、『甘やかし』に寄っている子育てが支配的になる状態)」が世界を覆い始めているのかもしれません。付け加えると、精神疾患が増えている主因として、スマホをはじめ電子デバイスの使用頻度の高さを指摘する研究も引用されていて、ユーチューブ・ゲーム漬けの子守りが増えている今、これは親御さんたちには肝を冷やすデータかもしれませんし、それもまた「文明発展に伴う副作用」とも言えるでしょう。

 今回この一冊との出合いは、社会的引きこもりの増加と生きる力の減退を問題意識として花まる学習会を立ち上げ、「もめごとはこやし」と言い続け、「親元を離れた野外体験の自由な外遊びのなかにこそ最高の育ちの場がある」と信じてサマースクールなどの野外体験の機会を提供し続け、子によっては「山村留学」などを推薦してきた私としては、強い援軍を得た気持ちでした。いまこの時期で起こりがちなこととしては、わが子がサマースクールに「行きたくない」と泣いて言い張ったりしたときの対応です。愛おしいわが子を守りたい母性の落とし穴というのか「本人が行きたくないと言っているのじゃ、しょうがないわね」と、キャンセルするような行動です。30年継続していて、野外体験の数日の経験で「行かせなければよかった」という声は、ほぼもらったことはありません。家族、特に母親と離れる不安があることは健やかさの一つですが、この本でも読んで「気持ちはわかるけれど、心を強くする機会だよ。行っておいで!」と力強く送り出してほしいものです。少しでも応援になるように、この本の328ページを引用します。

 反脆弱性をじかに教えることはできないが、体験という贈り物は与えられる。子どもたちがたくましく自主的な大人になるには、幾多の体験をする必要がある。子どもが自分でリスクを判断し、悔しさ、退屈さ、人との衝突に対処できるようになるには、体系化されていない、大人の監視なしの時間を過ごすことが必要で、まずはその認識を持つことが大切だ。そして、子どもがその時間にすべきは遊ぶこと、とりわけ他の子どもたちと屋外でする自由遊びだ。状況によっては、大人がそばにいて身の安全に気を配る必要があるかもしれないが、子ども同士の言い争いやケンカには基本的に介入すべきではない。

 さて、コロナの暗雲もかなり晴れてきた今年、子どもにとってその年齢での一度きりの夏がやってきます。どうか、本当に危険なことにはアンテナを張りつつ、心がワクワクする体験に満ちたひと夏となりますように。

花まる学習会代表 高濱正伸


🌸著者|高濱正伸

高濱 正伸 花まる学習会代表、NPO法人子育て応援隊むぎぐみ理事長、算数オリンピック委員会作問委員、日本棋院理事。1959年熊本県生まれ。東京大学卒、同大学院修了。1993年、「メシが食える大人に育てる」という理念のもと、「花まる学習会」を設立。「親だからできること」など大好評の講演会は全国で年間約130開催しており、これまでにのべ20万人以上が参加している。『伸び続ける子が育つお母さんの習慣』『算数脳パズルなぞぺ~』シリーズ、『メシが食える大人になる!よのなかルールブック』など、著書多数。

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