【高濱コラム】『ぬくもり』 2022年10月

【高濱コラム】『ぬくもり』 2022年10月

 NEC・野村證券・リクルート・ヤフー・キヤノン・住友商事・経済産業省・積水ハウス…。この数年で講演を依頼された大企業や組織です。規模でいうと中小企業の学習塾に過ぎない花まるが求められるテーマは、家庭です。社会の大黒柱とも言える企業や組織で個々のメンバーの人生に焦点を当てると、比喩として私がよく使う「北半球=仕事ワールド」では、昇進もし、成果もあげている方でも、「南半球=家庭」については、夫婦間の信頼や子育ての方針など、悩みや不安も尽きないのでしょう。家庭内で起こる問題の専門集団である私たちは、膨大な事例を宝物として、不安を払しょくする一助になるようお話ししています。
 そんななか、ある業界最大手の会社から依頼されたテーマは、これまでと違いました。それは、「自分を見失わずにキャリアを選択できる」ための話をしてくれというものでした。「え?みんな見識あるエリートぞろいなのでは?」と聞くと、「評価基準の決められた場で最適解を選ぶことは得意」でも、自分だけの価値観や哲学と言われると自信がない、という人も多いというのです。
 これは、まさにこの一年くらい、私がどの世代向けの講演でも強調して話してきたテーマの一つです。図にすると、左側に自分がいる。右側には社会の仕組み。仕組みには「年収・給与」「偏差値」「ブランド」「ランキング」など、外付けの数値化できる「価値基準」が示されている。それを遅くとも中学校の中間・期末試験あたりから、ずーっと提示され続け、上に行けば勝ち組、行けなければ負け組のように、洗脳され続けている。大事なのは、まず「自分の心を正しく見つめること」。そのうえで、「好き」と言い切れる心の震える選択として、右の仕組みのどれかを選べばよいのですが、まったくそうなっていない。偏差値が高いからその学校にする、というような選び方が典型です。心を見ない人生の選択は、たとえば40歳で転職はしたいけれど「やりたいことが見つからない」というような悲劇になります。

 さて、大人たちこそが「自分の目ではなく外付けの評価基準」に取り込まれてしまっている世界で、大切な子どもたちが自分を見失わない人生にするために、できることは何でしょうか。いくつか道はあるのですが、一つが「アート教育」です。つい先日も「Atelier for KIDs」を主宰するRinと外部の方と三人の対談があったのですが、まさにこのテーマを語る会になりました。Rinによると、学齢前の段階で「次は何をすればいいですか」と聞く子が多い。これは指示命令に従うことを是として育てられてきて、「自由に何を描いても作ってもいい」と言われると戸惑う状態になっているのだというのです。生き方を見失う大人の量産の元には、幼児期からのこの状況があったのです。そして、Rinの教室で、本当に自由に創っていいと知り、創作に没頭し、作った作品を親御さんに共感され認められることで、自分の想いを大切にすることができるようになるとのことでした。ここで大事なのは、「アートには正解がないからこそ良い」ということです。トップ経営者にですら、絵を描くことが広がっているというのも、うなずけますね。現代の問題の核心を突くRinの教育については、『こころと頭を同時に伸ばす AI時代の子育て』(実務教育出版)に、親のあるべき態度なども含めて、詳しく載っています。

 さて、Rinの指導現場を見ていると、きょうだいのなかで言われ役(親からもっぱら叱られる側)であるような子とか、自己肯定感の低い子とかであっても、Rinの認め、肯定・共感する独特の語り口のマジックで、徐々に「ここは大丈夫、という居場所感」を持ち始めるのがわかります。この構造は、子を伸ばす鉄則とも言える環境です。
 4月から、吉祥寺で「花まるエレメンタリースクール」がスタートしました。中心にいるのは、林(旧姓河原)隼人という奇人です。英語でサッカーをやる教室の校長だったのですが、私と学校を作りたいと、漫画に出てくるような素敵なキャラクターの仲間を10人ほど引き連れて、花まるに来てくれました。秒単位でアイデアが噴出している男で、一年も経たないで、農業体験を通じた総合力育成の「みんなビレッジ」や、強い心と体を育てる「スポーツサムライ」、障がい者のアートをシャツなどに活かして自立を支援する「ノットイコール」などを次々と生み出しました。そして、「一番やりたいこと」として、この春から「花まるエレメンタリースクール」を始めました。小学生向けのフリースクールですから、適当なことはできません。林に「どういう方針の学校を作りたいのか」と聞いたときに、彼はこう答えました。「スタッフが、朝から晩まで、預かった子たちのことを話し合っているチームにしたいんです」と。
 外国生まれの〇〇メソッドでも出てくるのかと思ったら、その返事。私は「コロンブスの卵のようだな」と感じました。言われれば簡単に思えるけれど、発想することは凡人にはできない。そして、即座に「やろう!」と応えました。
 そこにあるのは、子どもたちの安心が一番大事という慧眼です。ちょうど今年、私は一つの発見をしました。一年生で、離席が止まらない強めの多動の男の子がいるのですが、テーブルの子と喧嘩でもしようものなら、もうどうにもコントロールできなくなります。ところがあるとき、私の膝に乗せてお互いのぬくもりを感じる状態で抱っこして、「そうか、それは辛かったな」というように心をくみ取る対話をしたら、つきものが落ちたようにおとなしく席に戻って学びはじめたのです。その後も数回、効果があることを確認できたので、間違いないと思います。
 私の太ももの文字通りのぬくもりと、真剣に気持ちを汲んでもらえる心のぬくもりを感じたとき、すなわち「ここは大丈夫」と世界への安心を感じたとき、落ち着きを取り戻せるのです。
 林がやろうとしたのは、まさに、何を教えるとかではなく、全スタッフが一致団結して真剣な想いを伝えることで、「ぬくもり=安心の居場所感」を与えることでした。実際に始まってみると、3年も4年も学校に行けなかった子や、入学直後からずっと行けていないという子すらいる24名でスタートしたのに、全員が通い続けるどころか、ビルが開くのを待ちかねるくらい朝早くから来る子もいる状態です。ほぼ全員が不登校というあり方としては、奇跡的な実績ではないでしょうか。噂は早いもので、すでにさまざまな自治体の知事や教育長から、直接の問い合わせが入るなどしています。
 既存の仕組みに呑まれて私も見失っていました。一番大事な心のぬくもりの価値を教えてくれた、花まるエレメンタリースクール。グループ全体で、支えていきたいと思います。

花まる学習会代表 高濱正伸


🌸著者|高濱正伸

高濱 正伸 花まる学習会代表、NPO法人子育て応援隊むぎぐみ理事長、算数オリンピック委員会作問委員、日本棋院理事。1959年熊本県生まれ。東京大学卒、同大学院修了。1993年、「メシが食える大人に育てる」という理念のもと、「花まる学習会」を設立。「親だからできること」など大好評の講演会は全国で年間約130開催しており、これまでにのべ20万人以上が参加している。『伸び続ける子が育つお母さんの習慣』『算数脳パズルなぞぺ~』シリーズ、『メシが食える大人になる!よのなかルールブック』など、著書多数。

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