【高濱コラム】『エピソードを持つ』 2022年6月

【高濱コラム】『エピソードを持つ』 2022年6月

 先日、日本経済新聞夕刊の「それでも親子」という欄で、昨年亡くなった両親への想いを記事にしてもらいました。評判も良く、多くの方から「読んだよ」と連絡をいただきました。そのインタビューを受けた日のこと。取材はすることもされることもたくさんあり、翌日の予定表を見ながら確認する日々なので、「明日は日経か」くらいの気持ちでした。そして、取材直前になって「おいでになる記者さんは、花まるの卒業生らしいですよ」とスタッフから聞き、そこでも「おお、それは嬉しいね」という程度の落ち着いた受け取り方でした。しかし、Aという名前を聞いて「えー!!」と声をあげました。直接教えもしたし、忘れられない理由があったからです。
 当時の特算やスーパー算数で教えたその子をよく記憶していたのは、ご祖父の話が強烈だったからです。入院しているおじいさまから親戚に連絡があり、容態が良くないから来てくれというので、全親類が集まった。ところが実はおじいさまは元気。驚く子どもや家族に「そうでも言わないとみんな来ないじゃないか」と言ったあと、なんと紙芝居形式の『私の人生』という一生の間で起きた物語を描いた作品を、全員に読んで聞かせた、というものでした。老後のありようとして、何ともスカッとするお話で、鮮烈に覚えていたのです。
 それやこれやの思い出話に花が咲いたのですが、考えていたのは、「エピソードは武器だな」「エピソードは価値だな」ということです。みなさんも、同窓会などに行って「あれ?こんな人いたっけ?」ということはないでしょうか。それは特段思い出になる逸話が何もない、ということとイコールでしょう。よく「目立っていたから(みんな覚えている)」という言い方がありますが、その意味は「記憶に残るエピソードがある」ということだなと思いました。
 毎月、この「花まるだより」に卒業生インタビューを掲載していますが、どう選択しているかをあらためて思い出してみると、無数にいる卒業生の中で「あの子どうしているかな」と思い浮かぶ理由が、まさに「忘れられないエピソードがある」ということも、再確認させられました。たとえばNHKに行ったHさんは、2年生のときに、サマースクールへ出発する大宮駅で、ひっくり返され寝技に入られるのを防ぐ柔道選手の体勢で、「帰るー!」とギャン泣きしてまわりを困らせた、その困らせの程度のすごさにおいて記憶に残りました。京都大学に行ったNくんは、「情熱大陸」の取材時に私がおこなった「青空授業(外の公園で、算数の探求的なぞ解きを行う授業)」で、葉っぱを三回折れば45度の角度を作れることを見事に発見し、電柱の高さ測定への方法を編み出したときの集中する姿が印象に残りました。医学部在籍のIくんは、受験学年なのに小6でサマースクールに参加し、私の真似をして高い岩場からやったことのないバク転に無謀にも挑戦して、角度が悪くてこちらは「ああ、頭削った!」と肝を冷やした(実際は無事でした)ことで、映像として焼きつきました。医師になったNくんは、スクールFCの夏合宿の合間の川遊びで、みんなで挑戦したカジカ突きに、誰よりも早く成功して羨望のまなざしを受け、陽光の下、得意満面であった姿が忘れられません。
 よーく思い出せばいろいろと記憶もしているのですが、サッと最初に思い出すきっかけは、ワンエピソードなのです。その点では、子ども側の記憶も、完全にエピソード記憶です。特におもしろいのは、サマースクールや勉強合宿のときに、私に「めちゃくちゃ怒られた」という出来事を嬉しそうに語る子が多いことです。そのときは恐怖だったりしたのでしょうが、だからこそむしろ心に焼きつき、時の経過とともに、懐かしい思い出になっていくのかもしれません。そして、恥ずかしい思い出や辛かった思い出ほど、ネタとして後々燦然と輝くということも言い切れると思います。他人の自慢話には拒否の気持ちが混ざるものですが、人の失敗話は共感を持って聞いてもらえるものだからです。「しくじり話は金(あればあるほど人生豊かになる)」とも言えます。
 ちょうど、『AERA with Kids』でアソビューの山野智久社長にインタビューしたときに、興味深い話が出ました。彼と知り合ったのは数年前の経営者や学者や政治家が集まる合宿勉強会のような場だったのですが、レクの時間のビーチバレーで、懇親が目的でもありジェントルマン揃いの雰囲気の中で、一人審判に文句を言い、叫んでいるのが初参加の彼だったのです。「あれあれ、あんな若者もいるんだな」と感じたのですが、今回のインタビューの場で聞くと、何とそれは意識してわざとやっていたというのです。新参者で気持ちは完全にアウェー。まずは「悪目立ちでもなんでも、先輩方に名前を憶えてもらったほうが良い」という積極的な戦略だったというのです。さすがに、コロナ禍の大逆風の中で社員たちを守り抜き、奇跡のV字回復を成し遂げNHKで特集されただけあるなと、その透徹した人間観と意志力に感心しました。ここでの「悪目立ち」というのも、まさしくエピソードで記憶に残るということですよね。

 さて冒頭の話に戻りましょう。
 再会してすぐにおじいさまの話題になったくらい、私にとっては印象的な物語だったのですが、実は有名な外科医で著名人の手術の執刀などもされていたと、いまさらながらに聞きました。記者になってまだ一年、インタビューはメモを何度も見ながらの初々しいものでしたが、一生懸命さが伝わる、好感を持てるものでした。聞けば、取材先でも予習の甘さなどで怒られることもあるけれど、最後は必ず「頑張りなさいよ」と応援されるということでした。
 それを聞いて「やっぱりな」と感じました。小学生の頃から、いじめなどが起こりがちな高学年になっても、彼女の周り半径2メートルくらいは平和の光で護られている感じというのでしょうか、おだやかで頑張り屋で気品のある人格が印象的だったからです。
 その彼女が、1時間の取材を終えて、エレベータに向かう途中で立ち止まり、こちらを向きました。そして、「先生、私、メシが食える大人になれました!」と言ってくれました。「おおそうか!これから頑張らなきゃな」と朗らかな雰囲気で送り出しましたが、エレベータのドアが閉まるなり、なんだか胸が一杯になり、涙がポロリとこぼれるのでした。ハキハキとした声、すっくと背筋が伸び凛とした立ち姿とともに、また一つ素敵な瞬間が、心に焼きつけられました。

花まる学習会代表 高濱正伸


🌸著者|高濱正伸

高濱 正伸 花まる学習会代表、NPO法人子育て応援隊むぎぐみ理事長、算数オリンピック委員会作問委員、日本棋院理事。1959年熊本県生まれ。東京大学卒、同大学院修了。1993年、「メシが食える大人に育てる」という理念のもと、「花まる学習会」を設立。「親だからできること」など大好評の講演会は全国で年間約130開催しており、これまでにのべ20万人以上が参加している。『伸び続ける子が育つお母さんの習慣』『算数脳パズルなぞぺ~』シリーズ、『メシが食える大人になる!よのなかルールブック』など、著書多数。

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