以前、夏の勉強合宿に私も参加していた。課題に向き合えない、テキストを眺めているだけ、手を動かさない、こういった生徒が数名いたので一堂に集め、私が担当した。「始めよう」「さあ、やろう」「わからないところがあるか」等々、生徒に声をかけても返事はするが覇気はなく、取り組むポーズだけで頭も心もここにあらず。勉強合宿では、時間はある。彼らが自ら動き出すまで何も言わず、ひたすら待つことにしたものの、何も変わらない。こちらが折れて休憩をとり、屋外に出て好きに遊ばせた。すると、教室では“沈黙”だった生徒たちが生き生きと“動”の生徒へと変わっていく。ほかのクラスの生徒たちが学習に真剣に取り組んでいるのを横目に、学習をしない後ろめたさより、自分たちは、今、遊んでいるという優越感に浸っているようにすら見える。しかし、部屋に戻ると学習に向き合う生徒が増え、向き合う時間も増えた。自分から何とかしようとする変化が、微かだが見えた。
花まる学習会、スクールFCと指導を続けていく中で、『いくら教えても仕方がない。“自分で何とかする、学習を自分事と捉えて取り組む”こういった意識改革を指導の中心にする塾があってもいい』との思いで、翌年の春に西郡学習道場(以下、道場)を立ち上げた。自分の学習に向き合い、対峙して、学習の「道」を究める場として、「道場」という名を採った。そして、生涯学ぶ学習者の心構えとして『道場心得』を最初に作った。(『道場心得』については、FCだより2021年2~5月道場(西郡)コラムをご覧いただきたい。)
私が小学生のとき、月謝を払うスイミングスクールではなく、学校の先生が指導する部活で水泳を練習した。当時、身体が細く小さかった私は、うまく泳ぐことができず、水泳大会に出れば拍手で迎えられるほど、ダントツのビリだった。それでも夏は毎日、そして、冬は温水プールで泳いだ結果、泳ぎには一生困らなくなった。泳ぎ込むことで無駄な力が抜けた。さらに、水泳で体幹が鍛えられたことで、好きだった野球では、投げることも打つことも腰が据わった。運動神経がいいわけでも運動が好きというわけでもない普通の子でも、卓球部に入って毎日訓練すれば、運動神経のいい野球部やサッカー部の連中より、卓球は上手い。ピアノを習った人は、一生ピアノを弾くことができる。水泳やピアノは、一度基礎を叩き込むと生涯楽しむことができる。学習も同じ。基礎基本ができれば、一生学び続けることができる。だから、基礎基本を作ることを道場の目標にしている。
正しいフォーム(学習法)と正しい学習観(学習の心構え)で継続すれば、一生学び続けることができる。100歳まで生きるといわれる時代、常に学び続けるための基礎基本の習得が大切だ。当然、最初からうまくいく人は稀。何度も失敗して、試行錯誤して、うまくなっていく。失敗は当たり前。できない、わからないから、道場へ来る。失敗する自分、できない、わからない自分をさらけ出す方が、無駄なく学ぶことができる。さらけ出す解放は、集中力を生む。集中力、没頭力は持って生まれた能力を最大限発揮する状態にしてくれる。学力を伸ばす秘訣はさらけ出す、正直さだ。自分をさらけ出せる、信頼できる場が道場だ。
子ども一人ひとり、能力も身体の発達も違う。3月下旬に生まれた子と4月上旬に生まれた子では、たった数日の違いでも学年は一学年違う。他人と比べても仕方がない。学校では、クラス単位で学習や活動をする。勉強ができる子・できない子、運動ができる子・できない子等々、学校では教室内での序列化を意識付けされてしまう。比較は、個人の成長には邪魔でしかない。わからないことに向き合い、克服することだけに集中すれば、無駄は省ける。「他人と比べない」は、学習を伸ばす秘訣。そして、道場の方針だ。
西郡学習道場代表 西郡文啓
🌸著者|西郡文啓
1958年生まれ。県立熊本高校卒業。高濱代表とは高校の同級生、以来、小説、絵画、映画、演劇、音楽、哲学等、あらゆるジャンルの芸術、学問を語り合ってきた仲。高濱代表が花まる学習会を設立時に参加。スクールFCの立ち上げを経て、花まるグループ内に「子ども自身が自分の学習に正面から向き合う場」として西郡学習道場を設立する。2015年度より、「地域おこし協力隊」として、武雄市の小学校に常駐。現在「官民一体型学校」として指定を受けた小学校「武雄花まる学園」にて、学校の先生とともに、小学校の中で花まるメソッドを浸透させていくことに尽力中。