都立高校の男女別定員制※のことが話題になっていました。男女における難易度の違いは、高校受験を担当していた30年前も感じていたことです。当時の6学区のトップ校である両国高校は、女子では内申42点(9教科素点は45点満点)以上、男子では40点以上が最低ラインというイメージでした。この2点の差は決して小さくありません。相対評価時代の通知表の4を5にするのは大変なことですし、それも2教科上げなければなりません。学力検査は統一問題でしたから、入試本番であまり差がつかない場合、内申点をどれだけ持っているかが重要でした。宿題などの提出物や授業中の態度、部活動や課外活動の実績など、テスト以外の評価も含まれますので、そうしたことは真面目な女子ほど優位です。過去に出会った45点を取った子は全員が女の子でした。それも大人度の高い、みんなのあこがれの優等生ばかりです。結局男女の定員があることにより、総じて内申点がよい女子の熾烈な争いになるため、中間テストや期末テストでも常にベストを尽くさないといけません。そして、そうした入試以前の競争に勝ち残れなければ、進路面談で次点の学校を受験するように指導されるわけです。そういうことから、「A中学は内申が取りやすいけど、B中学は取りにくい」ということが噂になり、住所を移して通学区を変えるご家庭もあったくらいです。
現在の都立高校入試は、学区制が撤廃され、通知表も絶対評価に変わり、学力検査と内申点の比率は7:3になっています。実技4科目は素点の2倍に換算されるため、換算後の9教科の満点は65点になります。学力検査は自校作成問題の学校もあります。
一方で、都立上位校と併願できる私学が少なくなっていることも、意外に知られていない事実です。駿台模試の偏差値60以上に限ると、女子が受験できる東京都内の私立進学校(大学附属は除く)は豊島岡女子、一校です。千葉県では渋谷幕張と市川、埼玉県では栄東、神奈川県には該当する学校がありません。男子では、東京都が開成、他県は女子と同じ状況です。その豊島岡女子は2022年度から高校の募集を停止しますから、たとえば都立日比谷高校の併願校は、いよいよ国立か早慶などの私大附属に限られるわけです。いずれも高校受験では最難関と言われる高校ばかりですから、ある程度の時期から中学校の学習内容よりもさらに踏み込んだ受験準備が必要になります。
以前担当した中3男子のR君は、冗談や奇行をして周りを笑わせることが大好きな少年でした。宿題や提出物などの忘れ物が多い。先生に叱られても理屈で反論する。先生うけの良くない、いわゆる内申が取れないタイプの子でした。ただ学力は非常に高かったので、私の塾では最上位クラスに在籍していました。学校と同様にちょっとおふざけをするのですが、それ自体は知的で面白いため、みんなが一目置く人気者だったのです。他人に迷惑をかけることはよくないことですが、要するに学校の勉強がつまらなかったのです。担任の先生から目の敵にされていたR君ですから、三者面談では、「きみの内申では志望する高校は無理だから、私立の推薦にしなさい」と言われ、納得できなかったお母さんが、悔しさと怒りで混乱したまま塾に相談に来たことを覚えています。R君の場合、学区のトップ校に十分合格できる力は持っていましたが、内申点を考えると、3番手の学校になってしまいます。お母さんとしては、塾での成績は悪くないことを伝えるために、模試の結果を面談に持参していたのですが、見てもらうことさえできませんでした。「業者テスト廃止」を受けて、模試の結果を進路指導の参考にしてはいけないことになっていたからです。母子家庭の長男だった彼には公立に進んでほしいという思いもあったのですが、学費は何とか工面するという親の決断によって、学校の進路指導には従わず、背水の陣で私立一本に絞って受験した結果、第一志望の大学附属校に合格することができました。R君はその後、その大学の研究者になったと聞いています。
模試では点数が取れても、内申点が取れない子がいるのは事実です。だから「先生のうけのよい行動をとりなさい」というのは本末転倒ですし、制度の型にはめ込むことは簡単かもしれませんが、「決まっていることだから仕方ない」と思考を止めてしまうような大人になってほしくはありません。
どうしようもないカベにあたったら別な道を見つければいい。高校受験では手取り足取りは必要ありませんが、大人の知恵を貸してあげることは必要です。いつでも気兼ねなくご相談ください。
※男女別定員制…都立高校の全日制普通科の入試では男女別に定員を設けている。これは全国的にも珍しい制度で、結果的に男子よりも女子のほうが合格最低点が高くなる傾向にある。またジェンダー平等の視点から問題点を指摘する声もある。
スクールFC代表 松島伸浩
1963年生まれ、群馬県みどり市出身。現在、スクールFC代表兼花まるグループ常務取締役。教員一家に育つも、私教育の世界に飛び込み、大手進学塾で経営幹部として活躍。36歳で自塾を立ち上げ、個人、組織の両面から、「社会に出てから必要とされる『生きる力』を受験学習を通して鍛える方法はないか」を模索する。その後、花まる学習会創立時からの旧知であった高濱正伸と再会し、花まるグループに入社。教務部長、事業部長を経て現職。のべ10,000件以上の受験相談や教育相談の実績は、保護者からの絶大な支持を得ている。現在も花まる学習会やスクールFCの現場で活躍中である。