【高濱コラム】『良い思い出』2020年12月

【高濱コラム】『良い思い出』2020年12月

 手元に、一年前の雑誌があります。2020年を予測するその特集には、オリンピックを中心に活気ある話題が満ちていて、読んでいると良いことしか起きない気持ちにさせられます。しかし、一寸先は闇。実際どうなったかは、ご存じの通りです。SF小説か映画かと思わせる暗転。誰も想像すらしなかったウイルス禍が、全世界を不安のどん底に陥れました。ワクチンが開発されたという報道には希望を感じますが、実体経済のダメージも深刻で、まだまだ予断を許さない状況が続いています。

 厳しい一年でした。花まるグループも、早期にオンライン化に踏み切ったことで、少々もてはやされた面もありましたが、現実は、退会こそ少なかったものの、新規入会をためらわれたり、3日の雪国スクールやサマースクールの中止もあったり、9月締めの決算では、売上高は大きくマイナス、収支も28年目にして初の赤字転落となりました。

 また、そんな中、故郷人吉の大水害もありました。個人的なことですが、想定外の水位増で実家も浸かったと聞いたときは、「まさか。夢なのではないか」とすら思いました。老父母の対応、自宅の復旧・修繕、仲間たちの支援などなど、夢中で奔走していたのが昨日のようです。

 と書くと落ち込んでいたような感じですが、ギリギリ感に燃える体質でもあり、めげることはたったの一度もありませんでした。そのために、心の起伏の激しかった20代に「元気でいるコツ」を体得していたことが功を奏しました。といっても実に単純で、昔嬉しかったことや愛された思い出、感動したことを 、一つひとつ言葉にして思い出すことです。心をやられると明暗の暗の方にばかり気を取られ始めるので、あえて明を観ようとするのです。私の場合だと、たとえば小2くらいのときに、近くの中学生をからかって逃げそびれ、ボコボコに殴られて帰ったときの、母の「うちのかわいか息子になんばしてくれるとか!」と憤然としている姿を見上げて元気がでてきた思い出だったり、高校生の頃に女の子に好きだと告白されたことだったりというようなことです。

 今年一年に絞り込んでも、きつい中にもたくさんの良い思い出はあって、それを言葉にしていると、どんどん元気が出てきます。一斉休校が決まり、自粛の長いトンネルに入る頃、若い社員たちと「やるしかないよな!」と決意して、全社員総出で分担して、4歳から15歳までのオンライン授業をやりきったこと。「子どもたちに届け」という気持ちで、みんな無我夢中でしたし、高校の文化祭前日をずっとやっているような一体感の幸せがありました。

 水害のとき、泥の掻き出しは重くて大変でしたが、旧友がたくさん手伝いに来てくれたり、実に多くの方から温かい応援や支援をいただいたりして、それは心がポカポカする経験でした。助けてくださったみなさん、改めまして、本当にありがとうございました。

 サマースクールが中止になったときは、人生で最高に好きな時間を喪失し、ズシンと重いボディブローのパンチを受けたような気持ちでしたが、せめて子どもたちに疑似的な経験だけでもしてほしいと、野外体験部を中心に「花サマ」をオンラインで実施。電波事情の悪い山の中に、テレビ局のロケのようにテントを設営し、たくさんの機材を持ち込んで、「また途切れたぞ!」などと声を上げながら全力で番組を届けました。ここでも気持ちを一つにしてみんなで頑張れたことが、逆境だからこそ、強い絆となり幸福につながりました。

 他にも、AERA with kidsの特別編集長になったことは新鮮だったし、無人島教育について大きく取り上げてもらえて、充実した気持ちを持てました。またNHKのラジオで、月一回とは言えレギュラーで相談員を任されたことで、今までにない多方面からのリアクションがありました。特に、人吉の病床の父が聴いてすこぶる喜んでくれたことは、嬉しいことでした。何歳になっても自分のことで親が喜んでくれることは、元気が出るものです。

 そんな良かったことの中でも、一番気持ちが高ぶったのは、7月にリアルの教室が復活したことです。年中さんの残した、切り刻まれた新聞紙の山に、見つけるなり飛び込んでいく小学生たちの姿の、美しいこと美しいこと。カラカラだった心に水がまかれ潤っていくような気持ちでした。その後、マスクにフェイスシールドという重装備に「そこまでしなくても」という声はありましたが、これを書いている11月末まで、授業の中で、たった一人の感染も出なかったことも、嬉しい結果でした。

 一通の手紙に感動したこともありました。花まるが後援している「ジュニア本因坊戦」。3月の決勝大会は中止になったのですが、せっかく選ばれていた各地区の選手に、せめてもと、主催の新聞社から記念の品が贈られました。そのことのお礼状が、熊本の小学6年生Kくんから届いたのです。肉筆で鉛筆の文字でした。曰く、お手紙と記念品ありがとうございました。自分は1年生のときに囲碁を始めたのだが、2年生のときに熊本地震で囲碁教室がなくなった。その年の秋から別の碁会所に通ったのだが、そこもコロナ禍で今年なくなった。各種大会も軒並み中止になり、本当に辛かった。そんなときに私の名で手紙が届き、気持ちが上向きになり、また頑張ろうと思えるようになった。今、夏の肥後本因坊戦に向けて頑張っているのだが、人吉にいる囲碁仲間や被災された方々に喜んでいただけるように、3番勝負をがんばります…。かわいい字で、しかし実に力強い文章で、書いてくれていました。

 私としては、イベントを後援しているだけで、実際は主催の新聞社から贈られたものにすぎず、申し訳ない気持ちすらしたのです。しかし、そこには達筆なお母様からのお手紙も添えられていて、こうやって丁寧にお礼状を書くという行動を取れる親御さんだからこそ、子どももシャンとして頑張り屋になっているし、応援してもらえる心温かい人に育っているのだなと感じました。そして驚いたことに、その手紙をもらって2か月も経ってから、ふと思い出して、検索してみると、その子は、大人ばかりの肥後本因坊戦で、史上最年少で優勝をしているのでした。囲碁をやる子どもたちを応援したいという気持ちで始めた後援でしたが、一通の手紙で、こちらこそすごく激励してもらったなと感じました。
 そして、ここまで書いてきて、感じたことがあります。落ち込んだとき、落ち込みそうになったとき、結局は心の問題なのですが、それを支えるのは、愛されかわいがられた経験や、人とつながり感謝される喜びなのだなということです。

 2020年が終わろうとしています。人類全員厄年とも呼ぶべき、かなりハードな一年でした。みなさまも、自粛の4月・5月など、本当に大変だったのではないでしょうか。しかし、明けない夜はないし、歴史上終わらなかったパンデミックもありません。禍福はあざなえる縄のごとし。このつらい時期も、みんなで助け合いながら頑張れば、良い思い出になり、次の喜びにつながると信じましょう。

 新しい年が、良い一年になりますように。

花まる学習会代表 高濱正伸


著者|高濱 正伸

高濱 正伸 花まる学習会代表、NPO法人子育て応援隊むぎぐみ理事長、算数オリンピック委員会作問委員、日本棋院理事。1959年熊本県生まれ。東京大学卒、同大学院修了。1993年、「メシが食える大人に育てる」という理念のもと、「花まる学習会」を設立。「親だからできること」など大好評の講演会は全国で年間約130開催しており、これまでにのべ20万人以上が参加している。『伸び続ける子が育つお母さんの習慣』『算数脳パズルなぞぺ~』シリーズ、『メシが食える大人になる!よのなかルールブック』など、著書多数。

高濱コラムカテゴリの最新記事