教育哲学

【西郡コラム】『振り返る その二』 2020年10月

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 私が小学3、4年生のとき、父が僻地に赴任したので幼い弟を連れて母も同行、私は祖父母に預けられた。父母弟と別れて暮らしても、別段寂しいとか辛かったという記憶はない。抵抗する理由もなく、祖父母との生活を受け入れた。月一回程度、父母弟に会えるが、それが待ち遠しい、会えて嬉しいといった感情も残っていない。

 一度、私から父母弟に会いにバスを乗り継いで向かった。鼻の長い旧式のバスは排気がきつく、バス内にもこもる。揮発した油臭と田舎道の揺れで酷いバス酔いをした。途中、父母弟に会うことより、もう帰りたい、帰りたいと思った。到着したときは父母弟に会えることより、酔いから解放されてほっとした。同時に帰りもこの酔いは避けられないと思うと鬱陶しい。

 私が会いに向かうことを想像しなかったのか、父母弟も私に会いに向かい、行き違いとなり、父母弟は不在だった。バス酔いの気分の悪さは続いているが、不思議と悲しいとか寂しいとか切ないといった記憶は残っていない。涙もない。「あ、そうですか」落胆を避けたいがために湧き出る感情を殺して冷静に受け入れることで自分を保っていたのかもしれない。その夜泊めてもらった知人宅で床に就くと、田舎家らしく部屋は広く見上げた天井は高く、部屋も天井も黒く続いている。それをいつまで見上げて眺めている。すると、何の感情もない、見上げたまま遠くを眺める私をもう一人の自分が見ているような錯覚に陥った。喜怒哀楽の感情を押し殺した境地は幽体離脱のように、俯瞰してみえるのか。文字通りの他者性が育つのはこんな時かもしれない。自分一人の窮地になってはじめて、感情を殺さざるを得ない状況になってはじめて客観的になる。成長が不連続なら、この一夜こそ、私の中に他者性が芽生える成長があった。我儘(わがまま)とか我慢とかいう次元を超える、あるがままを受け入れる大人になった。

 祖父母との生活をすんなり受け入れたのは自宅の前に祖父母宅があり、父より祖父と過ごす時間が長かったからだ。祖父は教員で校長、後に合併された小さな町の教育長も務め、何の役職かわからないが、小学校にはよく行っていた。いい時代だった。当時の校長と学校で酒を酌み交わし、囲碁を打つ。祖母に頼まれ、校長室まで祖父を迎えに行くこともしばしばあった。昔良き時代の、良き校長、祖父と馬が合ったようだ。

 祖父は温厚で、人徳者。誰からも慕われていた。自分の子どもを怒ったことはないと母はよく言っていた。が、私はよく叱られた。今思えば、私の性格は多動だったようで、じっとしていない。善悪の判断も時間の観念もなく、自分の感情の赴くままに動く。神経質で、ちょっと気に食わないことがあれば感情を露わに出す。食べたくない夕食は膳や椀をひっくり返す。反省などない、同じことも何度も繰り返す。何度、家に入れてもらえなかったか。切れた母とバトルは日常、これも古き良き時代、世間体など気にしない、道でもどこでも、容赦しなかった。母が外出して、私もついて行くはずだった。「なぜ連れて行かぬ」と駄々をこねて道の真ん中で泣き叫ぶと、さすがに、温厚な祖父も激昂して叱り叩いた。ただ、怒られても叩かれても、しばらくすると何もなかったことのように祖父と母との日常に戻る。叱られた叩かれたことは今となっては懐かしい。亡くなった祖父も、老いて衰えた母も若かった。

 祖父に預けられてから、学校から帰り宿題を終えないと外に遊びには行けない。私の多動の性格も大分落ち着いてきたが、まだまだ外遊び大好きの遊び盛り、宿題が終わるまで級友は私を待っていた。そして、日記を就寝前に書かされた。今、何を書いたか覚えていない。大したことは書いていないだろう。しかし、一日を振り返った時間を持ったことは大きかったようだ。自分を俯瞰してみることになった。多動がはじめて反省的な思考を経験した。自分が犯した悪事、嘘や怠けを祖父に話していた。祖父は聞いているだけ。気にしたり、謝った方がいい、こんな解決がある、などは一切言わない。だから、救われた。懺悔(ざんげ)とは、このことか。聞いてもらうだけでいいのだ、答えは欲していない。聞いているだけが、今となって有り難い、自分で考えられるから。「何か言ってあげないといけない」は自分の保身のような気がする。教育に携わると教育が邪魔なときがある。薫陶(くんとう)に言葉は要らない。

 宿題を終えるまで遊び行けないことや、日記を書かされたことに一度も反発、反抗したことはなかったし、苦にしたこともなかった。預けられた境遇か、ちょうど落ち着いてきた年齢になったためか。祖父に勉強を教わった記憶はない。宿題と日記だけだ。多動の性格でどうしようもない私が、大学まで行って、今、教育に携わっているのも、祖父に預けられて、宿題をやって遊びに行く、日記を書き、ただただ話を聞いてもらうことができたからだと思っている。

 前回のコラムで「振り返ること、そして、それを言葉にして相手に伝えることが彼らの成長に大きく貢献すると確信している」と書いたもの、こういうことだ。

西郡学習道場代表 西郡文啓


著者|西郡文啓

西郡文啓 1958年生まれ。県立熊本高校卒業。高濱代表とは高校の同級生、以来、小説、絵画、映画、演劇、音楽、哲学等、あらゆるジャンルの芸術、学問を語り合ってきた仲。高濱代表が花まる学習会を設立時に参加。スクールFCの立ち上げを経て、花まるグループ内に「子ども自身が自分の学習に正面から向き合う場」として西郡学習道場を設立する。2015年度より、「地域おこし協力隊」として、武雄市の小学校に常駐。現在「官民一体型学校」として指定を受けた小学校「武雄花まる学園」にて、学校の先生とともに、小学校の中で花まるメソッドを浸透させていくことに尽力中。

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