こころと頭を同時に伸ばす 幼児期の子育て9
幼児期の子どもたちにとって、ものごとの終わり方はとても大切です。
いまを生きている彼らにとっては、直前の出来事が、その出来事全体の印象を決めるのです。
野外体験に行き、2泊3日たくさんの濃密な体験をして、最終日に「じゃあ作文を書こう」と言うと「お昼に食べたチャーハンがおいしかった」と、ついさっき食べたご飯のことを書きだそうとして、思わず笑ってしまう。
幼児と過ごしていると、そんなことがたびたび起こるのは、そういう理由です。
たとえば靴紐のちょうちょ結び。
「最初は一緒にやろう、ほら、あとはひっぱるだけ。自分でやる?」と最後の仕上げを子ども自身の手で終わらせるのと、最初の部分だけ自分でやって、難所を誰か大人にやってもらって完成させるのと、どういう違いが生じるでしょう。
大人から見たらほんのわずかな差ですが、まったく違う印象を子どものこころに残します。
「最後は自分の力でできた」という印象でしめくくること。
それは、世界は用意されているのではなく、誰かに完成させてもらうのではなく、自分の手で創っていく、という原体験になります。
子どもたちに、「一緒に考えようか」と声をかけたとき、私はその子の反応を全身で感じます。
「じゃあ、やって」とすぐに手を離して、「勝手に完成させられるはずのもの」をただ待とうとする子。
無言でかたくなに体をこわばらせ、手を振り払いかかわりを拒否する子。
「聴いてみよう、でも本当は自分でやりたいんだ」という目で見上げる子。
どの子も、最後は自分でやったと思えるように、言葉をかけます。
「ぼくじゃない。全部お母さんがやったんだ。」
15年以上も前、児童精神科医とともに不登校の子どもたちとその家族に向き合っていたころに出会ったある子どもの言葉です。
進学校に通い、表彰されるような出来事があっても、彼の自信にはなっていなかった。
自分の手でやり切る体験を奪われていたのです。
そのことへの長年の憤りが、思春期にとうとう爆発した。
それは彼の、自分の人生を生きたいという強い願いの表れでもあったのでしょう。
過去をさかのぼることは苦手な幼児期に、最後の印象を「よかったね」で終えてあげることと同じくらい、「最後は自分の力でやった」と思える経験は大切です。
自分の手でやったと思える経験をたくさん積めるように、私たち大人が、日常の中でいつも少しだけ、意識してあげたいですね。
井岡 由実(Rin)
国内外での創作・音楽活動や展示を続けながら、 「芸術を通した感性の育成」をテーマに「ARTのとびら」を主宰。教育×ARTの交わるところを世の中に発信し続けている。著書に『こころと頭を同時に伸ばすAI時代の子育て』 (実務教育出版)ほか。