数年前、「入学前に揃えたい8冊」というお題である雑誌の取材を受けました。そのときに、参考資料にと私が本棚の奥からひっぱり出してきたのは、幼稚園時代の「えほんノート」でした。当時、私が通っていた園で実施されていたものです。園の図書室で借りた「絵本の名前」「だれに読んでいただきましたか・おうちからのたより」の小さなスペースがある手のひらサイズの冊子。これが実におもしろい発見の連続でした。
年中時代の6月からそれは始まっており、卒園ぎりぎりまでの記録が綴られています。よろよろした頼りない文字で「おもしろかった」と自分で書いていることもあり、かわいいものです。
見どころは、母の残したコメント欄です。たったひとこと「何よこれ。どういうこと?ママどう思う?」(という私の放った言葉を記した)だけのときもあれば、「ゆうかんなリトルラクーンやのになんでこわがるの?」「なんで戦争するの」…などなど、子どもならではの視点で発する自由な言葉に笑える反面、「娘は表面的にしか受け取っていません。これは子どもの本であるようでいて、親が考えさせられる本だと思います」と、母自身の感想として書かれたものもありました。
「帰ってすぐ、服も着替えず、大声で読んでいます」「すーが8回あるのがおもしろいそう」「魔法の呪文が逆さまと発見して大声をあげて笑っていました」からは、ああやはり幼児は言葉のリズム感を楽しむことに敏感なものだ、言葉遊びが大好きで、発声することが楽しいものなのだな、と幼児の特性を感じます。
さらに、「おもしろいしぜったいいい本やからママに聞かせたい、と借りてきました」「あ〜おもしろかった!借りてきてよかったな!」という言葉がたくさん出てきます。毎週絵本を借りる日がある。そのことが、日常の楽しみな習慣として存在していて、「週に一冊、記録を残す」ことが、私と母との間で、大事なコミュニケーション手段となっていたのだということがわかります。
「字が少ない絵本だから借りてきたそう」「自分で読める字の分量の本を借りています」というメモが、ある期間なんども繰り返し出てきます。内容ではなく、自分が読みやすいかどうかで本を選ぶ時代がしばらく続いたあと、「最近は静かに読んでいる時間が長くなりました」と、本当の意味で読書を楽しむ時代へと突入しています。
本の中の役になりきって遊んだりする様子などもしょっちゅう出てきます。絵本とは、擬似体験をして共感することができるものなのだなと改めて感じましたし、「わたしもくまさんみたいに優しくしてもらいたい」などと母親に自分の気持ちを伝えるきっかけにもなっています。読後は、まるで花まるの教室で授業をした後のようなあたたかな気持ちになりました。
「あまもりって何?」「むっつりって何?」「くやしいってどういうこと?」と知らない言葉を質問する場面は何度も登場するのですが、一年半後、「最後の家出のときくやしかったんやろな」と、質問した言葉を、自分のものとして使えていたことを見つけました。ああ、子どもたちが言葉を獲得していく過程に、絵本の果たす役割は大きいな、と改めて感じました。
最後に「私も先生になりたい、でもこのことは恥ずかしいから書かんといて(書かないで)と言っています」という母の文を発見。自分がそんなことを言っていたなんてちっとも知りませんでした。
井岡 由実(Rin)
国内外での創作・音楽活動や展示を続けながら、 「芸術を通した感性の育成」をテーマに「ARTのとびら」を主宰。教育×ARTの交わるところを世の中に発信し続けている。著書に『こころと頭を同時に伸ばすAI時代の子育て』 (実務教育出版)ほか。
「Atelier for KIDs」は、 小さなアーティストたちのための創作ワークショップです。
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