10月の終わりごろふとカレンダーを見ていると、今年の11月1日で塾の仕事を始めてちょうど30年経つことに気がつきました。
「そういえば・・・」と妻にそのことを話すと、「そうなんだ」と特別な反応もなくそのときは終わったのですが、数日後帰宅するとテーブルの上に小さな箱が置いてありました。
塾講師という仕事はどうしても帰りが遅くなってしまうので、家族はたいてい寝ています。
そんな生活を30年続けてきました。
箱の中にはボールペンが入っていました。
「30年間、お疲れ様でした。名前入りなので、会社の中で落としても大丈夫です!」とメモが添えてありました。
妻からです。
誕生日や記念日とかでもなく、何かを期待して話したわけではありませんから、思いがけないプレゼントでした。
子育てが一段落するかしないかのうちに両親の介護が始まり、自分の時間もないくらい多忙を極めているのに・・・。
静まり返った部屋の中で、着替えることも忘れてしみじみとしてしまいました。
若いころから典型的な仕事人間。
多少なりとも将来を期待されていた会社を辞め起業しとときは、子どもが幼稚園に入ったばかりのころでした。
会社の立ち上げで蓄えはなくなり、日々の生活もぎりぎりの状態だったと思いますが、妻は何も言わずについてきてくれました。
家庭を顧みなかったわけでありませんが、家のことの多くは妻に任せきりだったと思います。
今の世の流れからすれば、合格点はもらえない夫だったかもしれません。
いろいろなところで苦労をかけたと思います。
本当に感謝しています。
今年の春、事務所にいると姉から泣きながら電話がかかってきました。
「早く帰ってきて。ばあちゃん(母)がもたないかもしれない・・・」二日くらい前に「家で転んだけど大したことはないから大丈夫。でも大事をとって入院させるから」とは聞いていたのですが、そんな事態になるとはまったく予想していませんでした。
齢90でしたがぴんぴんしていて、100歳までは余裕で生きられると誰もが思っていました。
取るものも取らず、特急に飛び乗って最速で病院に向かいましたが、病室に続く廊下には、虚しく冷たい心電図の音だけが鳴り響いていました。
故郷を離れて生活する身ですから仕方ないところもありますが、あまりにも急なことだったので、家族全員言葉を失いました。
19歳で地元を離れてからは帰省するのも年に数回。
実家に帰った時も近況を少し話すくらいであとはお酒を飲んで、次の日にあわただしく帰るというのが恒例でした。
いつも「もう帰るの?」と言わるのですが、すぐに「仕事が忙しいんでしょ」と、それ以上引き留めることはありませんでした。
人生について語ることもなく、両親が何者かも大してわからないまま、突然の別れを迎えました。
父のときと同様に気を利かせてくれたのか、兄から通夜の泊り番を頼まれました。
そのとき母の寝顔を初めて見たような気がします。
語りかけても何も答えてはくれませんでしたが、「ありがとうございました」と何度も心を込めて伝えました。
最期に過ごした夜は私にとっては過去を取り戻す大切な時間となりました。
「心を込めて、挨拶をする・お礼を言う・感謝を伝える・笑顔で接する」、AIやロボットがいくら進化しても伝えることはできない、人間としての温かさを私たちは持っています。
それをみんなが、今目の前にいる人と少しでも分かち合うことができたら、お互いを支えあい、労わりあえる本当に素敵な社会になるのではないかと思います。
一年の節目に普段なかなか言えない感謝の気持ちを、ちょっと勇気を出して伝えてみてはいかがでしょうか。
受験生のみなさんは、年明けからいよいよ本番です。
これまでやってきたことに自信をもって、その力を存分に発揮してきてほしいと思います。
夢を実現したみなさんの笑顔に会えるのを楽しみしています。
今年も花まるグループへのご支援ならびにご協力、誠にありがとうございました。
2020年が皆様にとって幸せな一年になりますよう心よりお祈り申し上げます。
スクールFC代表 松島伸浩