【高濱コラム】『苦しいときをともに』2019年12月

【高濱コラム】『苦しいときをともに』2019年12月

もう20年くらい前のことです。
Yちゃんという小学1年生の女の子がいました。
彼女のお母さんが、駅前で配られていたパンフレット(その当時だから配っていたのは私でしょう)の川に飛び込む子どもの写真を見て、「一人っ子であるこの子にはこういう体験こそ必要」と直観して、花まるへの入会をお決めになりました。
直接担当する教室長ではないのですが、サマースクールや雪国スクールにほぼ毎回参加してくれていたので、私もよく知っていました。
とある町でお父さんと歩いているYちゃんとすれ違って「おー!」と挨拶したとき、怪訝そうなお父さんに、少し自慢げなすまし顔で「花まるの先生だよ」と紹介してくれた場面をよく覚えています。

長じて高校生リーダーや大学生リーダーとしても大活躍してくれました。
雪国の宿に何日も寝泊まりしてまでスキーの腕を磨く努力家の一面も見せていました。
そんな彼女が就職して、営業職を希望し大活躍していると聞いて、一人っ子の課題を見事に克服して強くたくましく育った事例だなと思っていたら、「相談したいことがある」と連絡を受けました。
こういう相談は幸せなことです。喜んで時間をつくりました。

おもしろかったのは、雑談で出た話です。
私の講演をよく聞いてくれていたお母さん。
「思春期以降は〝母と娘〟の関係が大事で、本音トークをしてくれと講演で言うんだけれど、してくれていた?」と聞くと、「してくれてました!」と即答でした。
以下は、その中のエピソードです。
Yちゃんが「お母さんの取り柄は何?」と尋ねると、「んー」と考えたお母さんは続けてこう言ったそうです。
「別に勉強だって普通だし、特にないよ。ただ、強いて言えば…唯一の取り柄は、あのお父さんと結婚できたことかな」と。

「えー!」私は思わず、その場で立ちあがりました。
不仲だったりガマンしたりしている夫婦があふれる現代日本で、こんなことを言う妻が存在したのか。
本当に驚き、何故そんな言葉が出てきたのかを、いろいろとインタビューしました。
そしてどうやら分かったのは、苦労をともにしていたという事実です。
実は、そのご夫婦には長い長い不妊治療の年月があったのだそうです。
何年ものトライのあと、「もういいよね、あきらめよう」と話し合って決め、二人で旅行した先で奇跡的に授かった子がYちゃんだったのです。 

私が想像したのは、「またダメだったよ」と言う報告を、二人ともまったく同じ苦しみとして共有するたびに、深く強くなっていく絆があったのではないか、ということです。
一般に、いやなことは無い方が良いと考えられていますが、誰かと一緒に同じ思いでその辛さを共有することは、人生において、実は醍醐味でもあるのではないかと思うのです。

かく言う私も、還暦の今でも買い物や旅行では妻と手をつないで歩きますし、時々乗馬にでかけるときは心穏やかな良い時間で、まあまあ仲の良い夫婦だと思います。
Yちゃんのお母さんの言葉をきっかけに考えたのは、それは重い障がいを持った息子への思いと共感の積み重ねのおかげであろうということです。
先輩保護者の方々の努力のおかげで、今の日本の障がいを持った子には、学校や生活サポートなどの良質な受け入れ先がたくさんあります。
それはすこぶるありがたいことなのですが、例えば帰宅した息子の歯を見ると磨き残しがあって、「やっぱり親ほどの真剣さでやってくれるところは無いよね」と言った瞬間の共感。
そんな小さな、でも間違いなく二人だけがわかる苦い気持ちをともに分かち合うたびに、きっとパートナーとして擦り合わせが行われたのだと思います。

そういえば、ラグビーが本格的にブレイクした今年ですが、ワンチームという言葉について聞かれたある選手がこう答えていました。
「最初からそうだったわけではない。むしろバラバラなときもあった。ただ、この3年強、多くの事を犠牲にして、もう二度とやれないというくらいの苦しい苦しい練習をしてきた。その我々にしかわからない厳しい練習の繰り返しの中で、心が一つになっていったのだ」と。

そこまでは到底及びませんが、苦しい練習をともにした高校の部活仲間との交流はずっと続いていますという方も多いのではないでしょうか。
私もその一人です。
この夏、高校の野球部の上下3年の先輩後輩と集まったときに盛り上がったのは、苦しい中にも倒れるくらいの特に厳しい練習をした夏合宿などのエピソードでした。
そして一番盛り上がったのは、伝説の鬼先輩が襲来したときの話でした。
その先輩は卒業して何年か経っているのですが、ふいに顔を出しては、そのたびに理不尽極まりないしごきをしたり、言いがかりや難癖と言ってもよいことで怒鳴ったりする人だったのです。
「そうそうそう!」と一致できたのは、みんな一緒の「怒りの思い出」だったからです。
ひどい経験も、みんなで分かち合えれば一生の笑いのネタにもなり得るのです。

みなさんにとって、今年一年はどんな年だったでしょうか。
私は、尊敬できる方々と多く対談できたり、講演会で熱い感想文をいただいたり、授業や野外体験で子どもたちの輝きに数多く触れることができたりと、良いことの方が多かったですが、身近な人たちの喪失が多い年でもありました。
禍福はあざなえる縄のごとし。
すべて良い事ばかりだったという方の方が少ないでしょう。
喜びはもちろんかみしめながら、しかし苦しいときでも誰かと分かち合い、手を差し延べ合いながら、人生を歩いていけると良いですね。
そして、Yさんのお父さんのように「あの人と出会えて良かった」と、誰か一人にでも思ってもらえたら幸せですね。

よいお年をお迎えください。   

花まる学習会代表 高濱正伸

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