10月、とても嬉しいことがありました。現在私が担当している幼稚園教室の年中クラスに、二人も教え子の子どもがいるとわかったのです。私は1年生と3年生の授業、高学年のSなぞ解説、中学生自習室クラス(ににらみを利かせること)の担当で、年中・年長クラスの授業は基本的に若手社員が担当しているのですが、まず一人の男の子Yくんについて、教え子Sちゃんの子だという情報が入りました。近づいて話したのですが、言われれば確かに顔もよく似ている。「へー、Sちゃんの子なんだねー」というと怪訝な表情でした。多分私は孫を見る祖父の目になっていたと思います。
それで大騒ぎしていたら、その時間を取り仕切っている副教室長の上武が「確かTくんのお母さんも、そうだったと聞いた気がします」と言うのです。おいおい早く教えてくれよ、と上武に言いながらTくんに近づき話しかけました。「お母さんのお名前、何て言うの?」「M」「M? まさか結婚する前のお名前はOじゃない?」「…おばあちゃんはOだけど」「わー‼」と私一人が大声を出してしまいました。「そうかMの子か、Mの子か…」
こういう話をすると、20年も前の教え子をよく覚えていますね、と言われます。正直言って老化も入り全員が全員というわけではないでしょうが、とはいえ大半記憶していると思います。特によく覚えている子の特徴は「エピソードがあること」です。Sちゃんは、三きょうだいで通ってくれたこともあるし、忘れられないのは、サマースクールの修学旅行コースの前身ともいうべき「沖縄子ども冒険島」を伊江島で開催していたときのこと(当時は、那覇空港から本部の港までもフェリーに乗せるも降ろすも、バスの運転は私自身がしていました)。一週間の日程すべてが、遠ざかってくれない迷走台風に邪魔されて、風雨のなかとうとう一度も海に行けなかったのです。特に6年生だったSちゃんたちには、沖縄の青い空と海を期待していたであろうに、と申し訳ないような可哀そうな気持ちで、「大学生になったら、リーダーになってまたおいで」と言ったのを覚えています。とても奥ゆかしく、他人を中傷したり悪口を言ったりすることのない性格で、その沖縄でも一度も愚痴を言うことなくいてくれたからこそ、「いつかきれいな海を見せてあげたいな」と思ったものです。そんなSちゃんがいまやお母さんとなって、子どもを預けてくれている喜び。いつかこの息子くんと修学旅行や無人島に行けたら感慨深いだろうなと想像しています。
一方、Mちゃんの記憶はさらに強烈です。1年生のまる一年間「お母さんつきでないと授業を受けられない子」だったのです。確か2年生はお母さまが後方の席で見守るもまだまだ一緒でないと耐えられない日も多く、3年生でも時々そうでした。分離不安。号泣してお母さまの手を離さなかったMちゃんの姿は、忘れられません。当時一番焼き付いているのは、お母さまの表情です。このような場合、「ほかの子はできるのに、うちだけなぜ」などと、「比較の病」「人目の病」に陥りがちだし、そのことによって心がネガティブになったりしそうなのですが、一言でいえば「覚悟」が感じられ、凛とした表情で座っておられるのでした。
さて授業後、幼稚園の別部屋での延長のお預かり組に移動するYくんのお母さん(Sちゃん)とは会えないとあきらめましたが、親となったMちゃんに会えるとワクワクしていました。そして外に出てみると、そこにいたのは、おばあちゃんとなったMちゃんのお母さまでした。20年の時空を超えるほどの若々しさあふれる姿で、あのときと同じお母さま。「Mのお母さん!」と声をかけると、「よく覚えていますね」とおっしゃいましたが、「忘れるわけないじゃないですか。もう、ほんっとに本当に一年生の頃は大変でしたよね」と言うと、満面の笑みで「ねー。もう!」と一言。そういえば中学生時代にはMちゃん本人も「(お母さんがいないと学校にも花まるにも通えないという)そんな頃もありましたね」と幼かった頃を懐かしんで語るくらいたくましく育っていましたね、などと短い時間ですが、ひとしきり思い出話に花が咲きました。
私は、泣き言も言わず子どもを信じてあんなに頑張り抜いたお母さまが、今こうして幸せなおばあちゃんとして笑っておられる姿に、「よかったですねー」という気持ちで泣きそうになりました。
こういう一人のお母さんの奮闘と克服、そして幸福へという歴史の一事には、いろいろな学びがあるなとも感じました。一つは、ちょうど今年も、教室まで送ってもらったはいいけれど、いざお母さまが帰ろうとするとたまに泣いてしばらく離れられない1年生の子がいるのですが、若いお母さんたちが、こういう先輩の実話を聞くことで、とても参考になるだろうということ。そして、Mちゃんとお母さまのかかわりを真横で見てきた者として、「大丈夫ですよ!」「大らかな気持ちで一緒に見守りましょう」と言い切れるほどの自信を、私自身がもらえているということです。現場での経験には、宝物が転がっています。
さて、話が戻りますが、どうして大変だったり可哀そうなエピソードがあったりすると長期に記憶しているのでしょうか。それは、一言でいうと「困っている子には、大人の心が動く」からではないでしょうか。特に問題がなくてもいつでも子どもはかわいいですが、困っていると何とかしてあげたいと心がグイと動く。困りごとの程度が大きければなお一層動く。そしてそのことによって心に刻印が押されるように印象深く記憶する。
もしそうだとすると、昔から「できの悪い子ほどかわいい」「手がかかる子はかわいい」などと言いますが、子どもが困らせてくれることは、実は生きがいにつながるとも言えるかもしれません。
最近の講演では、辛いことやぶつかり合いなどを回避させる、事なかれの過干渉が子どもの将来にとって問題で、こども園や幼稚園・保育園・学校に行く意味は、トラブルや失敗や挫折の経験とその乗り越え経験ができることにある、とすら言っています。一見「負の体験」に見えるけれど、本質的には成長のために必要だからこそ、実は子どもに困らされることは、甘美な充実や喜びを与えてくれる一面も持っているのかもしれません。わが子に無事でいてほしいと守りたい親心は偉大です。だが同時に、強くたくましく育つためには、「愛するわが子に試練よ来たれ!」と願うくらいで、最もバランスが取れているのではないでしょうか。
花まる学習会代表 高濱正伸
🌸著者|高濱正伸
花まる学習会代表、NPO法人子育て応援隊むぎぐみ理事長、算数オリンピック委員会作問委員、日本棋院理事。1959年熊本県生まれ。東京大学卒、同大学院修了。1993年、「メシが食える大人に育てる」という理念のもと、「花まる学習会」を設立。「親だからできること」など大好評の講演会は全国で年間約130開催しており、これまでにのべ20万人以上が参加している。『伸び続ける子が育つお母さんの習慣』『算数脳パズルなぞぺ~』シリーズ、『メシが食える大人になる!よのなかルールブック』など、著書多数。