【96】ひと夏で得た宝物
ある日、1本の電話が鳴りました。電話の主は1年生のN君のお母さんからでした。
「野外体験に行かせてあげたいのですが、正直悩んでいます。」というご相談。
N君は生まれつき左手の四指が親指にくっついています。右手や顎・肩を器用に駆使して、ページも開けるし、紙を折ってハサミで切ることもできます。授業の中で困ることはありません。しかし、「生活」となると、やはり困ることも出てくるようです。花まる学習会の野外体験ではリーダーがサポートしますし、相談の上、身の回りのお世話に没頭してくれる個別リーダーをつけることもできます。(料金は変わります。)
しかし、お母さんにブレーキをかけていたのはN君を想う母心でした。「先生、私、わかっているんです。N自身の体だからNが話し、周りの人にわかってもらえるように強くならなければいけないんだって。でも、私が健康に生んであげられれば、Nは無理やり強くなる必要はないんじゃないかって。私のエゴなんじゃないかって…。」お母さんの率直な想いが電話から伝わり、胸がギュッと締め付けられました。
頼っていただいたことに心から感謝をし、私も正直に伝えました。子どもの好奇心は時に、残酷に映ることもあることを。沢山、たくさん話し合いをしました。最終的に、お母さん自身が結論を導き出しました。「私も好きなことをやって生きてきて、今は幸せです。Nにも好きなことをして人生を謳歌してほしい。そのためには、Nを守りすぎるのではなく、自分で助けを求め、できることは努力をし、自分らしい人生を歩んでほしい。」と参加することを決断したのです。
サマースクールを終え、電話をすると、N君が「楽しかったよ!最初、手のことを言われることが嫌だったけど、助けてくれる子がいたの。みんな助けてくれた!困ったら言えばいいんだな、と思えたんだよ。」と。彼が自分の心と葛藤し、乗り越え、自信を掴み取ったのだな、とわかりました。理解を示してくれる仲間に出会えたこと、特にJ君という3年生が沢山お手伝いをしてくれた、と嬉しそうでした。そして、お母さんも「あの時、止めなくてよかった!Nにとっては宝物の経験です。」と仰ってくださいました。
そして、偶然にも私の教室にそのJ君がいるのです。マスクをつけるのに時間がかかっているN君の様子を見て、J君が手伝ったことから、他の子ども達もN君に手を貸し始めたそうです。
J君のお母さんが教えてくださいました。「帰ってきた後、Jがありがとう、ってよく言うんです。そして、お手伝いをよくするようになりました。数日経って私に『N君はお母さんにギューって抱きしめられるのかな?』と聞いてきて、そこでN君のことを知りました。」と。そして「自分が当たり前にしていたことが実は当たり前じゃない、と思ったみたいなんです。先生、Jも人に想いを寄せられるようになったんだなーと成長が嬉しかったです。そして、見ているだけでなく、行動に移したJが誇らしいです。Jにとっても私にとっても野外体験で宝物をもらったなぁ、と思っています。」と。
自分が当たり前だと思っていたことが実は当たり前ではない、世の中にはいろんな人がいるけども同じ人間であり、困っている人には、手を差し伸べることを学んだJ君。困った時には助けてもらっていいのだ、ということ学びとってきたN君。人は一人では生きられません。人生を歩む中で大切なことを掴み取ってきた彼らを私も誇りに思います。
「可愛い子には旅をさせよ」とよく言います。様々な葛藤もありつつ、お家の方が背中を押してくださったからこそ、彼らが得られた「宝物」でしょう。
花まるグループはどんな子も受け入れます。背景も価値観も全く違う子ども達がいます。野外体験はまさに「多様性」に溢れているのです。だからこそ、学べることがあるのだと思います。
あの時、あの場所で出会った仲間との思い出が、彼らの人生の中で背中を押してくれるものになれば、これほど幸せなことはありません。沢山の宝物を抱えて彼らが社会に羽ばたいていってくれることを心から願っています。