【57】「原風景 ~今、子どもたちが見ているもの~」
夏が終わろうとしていますね。毎年灼熱の太陽の下、響き渡るセミの鳴き声を聞くと、思い出す光景があります。小学生の頃、夏は長野のおばあちゃんの家に帰るのが楽しみでした。その理由の一つが、長野にある山を切り開いて作られたウォータースライダーの存在。何百段も続く階段を登っては、滑り落ちるのを全身で楽しんだものです。セミの鳴き声が響きわたる中、山の頂上から見た景色、滑っている最中に見上げた時の木々の美しさは記憶に鮮明に残っていて、セミの鳴き声を聞くと、なぜか思い出すのはその時の風景たち。子どもの頃の記憶は、五感を通して覚えているものだなと感じます。
先日のおやこクラスでの紙粘土であそぶ授業をした時のこと。牛乳パックを細く切った台紙を使って、紙粘土の型を自由につくる時間をとりました。兄弟で参加してくれていた小学2年生のRちゃんが「この大きな丸い型は月なんだ」と教えてくれました。ただの丸ではなく、月という表現に彼女の感性が光っていました。「そういえば十五夜の日、お月様まんまるだったね!」そんな話題になりました。すると3歳のHちゃんがパッとこちらを見て、「このあいだ…ね!おつきみで…おだんごコロコロ…つくったの…!」と懸命に言葉を紡いで教えてくれたのです。様子を嬉しそうに見守っていたHちゃんのママによると、初めて粉からおだんごを作ってみたということでした。「そっか~!おだんごを一から作ったんだね!」そう返すとHちゃんは、伝わったことを確認し、満足そうに大きくうなずいたのでした。その後の紙粘土あそびでも、Hちゃんはまず渡された紙粘土をそのまま丸めて、低いテーブルの上でコロコロ…全体重をかけて大きなおだんごづくりに励んでいました。その手つきは慣れたもので、きっとこの間過ごした家族の楽しい記憶と共に、この空間を過ごしているのかな…そう想いを馳せたのでした。
楽しいと感じたことは勝手に探究し、世界を広げていく子どもたち。日常にはいろいろなものがある中で、様々な経験を通して、「これ楽しい」「これ好き」の価値観が作られていくようです。同じものを見ても感じ方や興味や探究の深さが違うのは、それぞれ過ごしてきた経験や見てきた景色が違うからでしょう。
3歳になったわが子を見ても、感じることがありました。ある日家族で江の島に出かけた時のこと。タワーの上の屋外の展望台に出た瞬間、広がる小さな家々と海、オレンジ色の夕日に、おやこ共に声を漏らして感動したことがありました。「きれいだね…」外の風を感じながらイスに座ってぼんやり景色を眺め、その時間を過ごしました。帰ってきたその日の夜、いつものように一人あそびを始めた息子は、突然エレベーターごっこを始めました。「10階です、13階です。外に出ました。きれいだねえ…」その時の光景を思い出すかのように、つぶやいていたのでした。
今ともに過ごしている時間が彼らの原風景となり、ものを見る視点となっていく。そう思うと、今一緒に見ている景色や発見したことを大切にしたいなという気持ちが湧いてきます。
彼らにとって、周りからのまなざしやその時の空気感も、原風景の一つでしょう。先日おやこクラス終了後のあるママの「感じたことキロク」が印象的でした。『先生方の全肯定の雰囲気、とても居心地がよいです。娘も後半は声をたくさん出していて、ニコニコ楽しそうでした。』一人で子育てをしていると、おおらかな気持ちになれない時もあるでしょう。でも、みんなで集まってみんなで一人ひとりの子どもたちをじっくり見守っていると、子どもたちがその時その時間を、意志をもって様々なチャレンジをし、心を動かして過ごしていることに気づくことがあります。そして「すごいね」「成長したね」といった言葉が飛び交う。さらに、大人も子どもも心と体を解放し遊ぶ中で、気づきや発見を言葉や視線で表現しあうーおやこのやり取りが教室中に溢れていく。今一緒に過ごす時間が本当に尊いものであり、彼らの原風景になっていくのだろうなと思います。だからこそ、今日もこの時間を大切にしたいと思うのでした。