【15】学びある日々を
『クラス』
~先生は「全力」「一生けん命」「がんばる」がすきなので、みんなそういう風に成長しました。いい成長のしかただと思います。自分が好きでがんばれることをやってみたいです。~
数年前、私が見ていた当時5年生のRちゃんが“花まる人生の最後“に書いた作文です。6年生になるタイミングで花まるを離れることを決めていた子でした。高学年女子問いこともあり、彼女は普段「…なんですか?」とそっけない態度をとることがよくありました。でも、それだけではなくみんなで笑いながら明るく会話をする姿もある素直で優しい一面もあります。だからこそ私は、常にRちゃんに話しかけ続け、変わらぬ距離を保っていました。決して私のことが好きとは言えないであろうRちゃん。それでも、当時の私の想いは伝わっていたのだろうと、この作文から伝わってきます。
小学生の授業では毎週、作文を書く時間があります。今までの私の授業は「作文を書いたらチームの先生に見せて、花まるをもらう」という形式をとっていました。どの教室でもよくある形式です。そして、2年生以上の花まるに通っているお子さまがいらっしゃるご家庭はご存知かもしれないですが、少し時間を置いた後、「担当の先生からのお手紙つき」で子どもたちの手元に戻ります。
私自身が子どもたちの作文を読むことができるのも、実は少し時間が経ってからになってしまうのです。そこで、「なんとかできるだけ早く読めるように」と思い、6月は「書き上げた子から私のところに持ってくる」というルールにしました。いつも以上に長く文章を書く子がいる一方、ゆっくり丁寧に書く子もいます。持ってきた子から順に作文を読んで、その子と私だけの時間ができます。
書いてきた文章を読んで、「こんなことがあったのね。どうだった?」「これ、先生もやってみたい!」など、一人ひとりの書きたての作文にコメントができるようになりました。
ただやはり、その時間は無限にあるわけではありません。作文を読む途中で挨拶の時間になり「そろそろ挨拶をするよー!」と声をかけます。気にせず並び続ける子どもたち。「時間になったから、授業後に読むね。」と伝えると子どもたちは残念そうな表情とともに「えー!」と声を上げます。ここではっきりしたことが一つ。子どもたちは「本来私にも作文を読んでほしい」と思っているということです。だからこそ普段書く以上に文章が長くなったり、丁寧に書いたりしているのだなと改めて思いました。作文には子どもたちの想いがギュッと詰まっているものだと強く感じています。「読んでほしい。聞いてほしい。」「読んでもらえる。楽しみだな。」という想いが並んでいる子どもたちからひしひしと伝わってきます。
ちょうど先日、最初に載せた作文の書き主Rちゃんが高校生1年生になったことが判明しました。きょうだいがいて、偶然電話をしたと話していた別教室長から「今も花まるでやった事が活きている。花まるが大好きだった!」と話していたと聞くことができました。5年生から2年間しか担当できなかったのですが、こういった幸せな花まるの離れ方ができたことを嬉しく思います。
1つの例として作文を挙げましたが、花まるの授業全てにおいて子どもたちが「やっていてよかった」と思ってもらえるような授業を続けていこうと改めて思った所存です。