【12】飛べなかった黒アゲハ

毎夏、活動中に黒アゲハを見ることがあります。その度に胸の奥が少し締め付けられる出来事を思い出します。それは数年前の出来事です。
サマースクール2日目の午後、永遠に続くと思ってしまうほどの青空の下で川遊びを存分に楽しみ、子どもたちは宿に戻ってきました。
班の最高学年である4年生の昆虫博士T君が、宿に戻ろうとしたときに、玄関のすぐ横にある畑を見て動きを止めました。T君のそばにいた私が「どうしたの?」と声をかけると、
「蝶のサナギがあるんだけど、クモの巣に絡まっているから食べられてしまうかも」
と言いながら不安そうな顔をしていました。しばらくT君とサナギを観察していると、同じ班の子どもたちも集まってきました。班の子が「何しているの?」とT君に聞きましたが、その声はT君には届いていない様子で、T君の視線は1年生のC君が持っている虫かごに釘付けになっていました。
「C君、それ貸してくれないかな」
T君の顔は真剣で、その迫力に押され、1年生のC君は、「うん」と小刻みに頷き、虫かごをT君に渡しました。虫かごを受け取ったT君は、手慣れた様子で慎重にサナギを虫かごに移動させました。「蝶になったらすぐに逃がしてあげないと飛べなくなるから、みんな蝶になったら教えて!」と仲間に伝えてから、虫かごを大事そうに抱えて宿に入っていきました。

翌日、早朝5時頃、T君たちの部屋から歓声があがりました。部屋に行くとサナギが蝶になっていて、虫かごが小さく見えるくらいに大きく立派な黒アゲハが、羽を何度も広げていました。興奮状態の子どもたちの中で1人冷静なのがT君。「早く逃がさないと羽が傷んで飛べなくなる」と言って、虫かごを持って外に出ようとしましたが、虫かごの持ち主のC君が、「もう少しだけ見たいから、逃がすのは後にしない?」と強めの語気でT君に伝えました。T君は、かなり悩んでから「わかった」と言って、虫かごを元に戻しました。
昼食後、狭い虫かごの中で飛ぼうとしている黒アゲハ蝶を見て、みんなで相談し「逃がそう」ということになり、捕まえた畑に行きました。虫かごから出された黒アゲハは葉っぱにしがみつき、飛ぼうとしません。
「しばらくしたら飛んでいくから、このままにしておこう」というT君の説明があり、みんな宿に戻りました。

最終日の昼食後、いち早く外に出てきたT君は黒アゲハを逃がした畑を念入りに見ていました。そして、突然動きをとめてから大きくうなだれました。私はT君にゆっくり近づきました。T君が見つめていたのは、草のしげみに隠れて動かなくなった黒アゲハでした。羽はボロボロになり、もう動くことはないことは見てわかりました。
「はやく逃がしておけば・・・」
というT君の声は涙ぐんでいます。夏の熱く重い空気が二人の間を吹き抜けました。その時、玄関に同じ班の子たちの声が聞こえてきました。その声を聞いてT君は大きな葉っぱで黒アゲハをくるみ、少し離れた所に穴を掘り、動かなくなった黒アゲハを埋めました。汚れた手を払いながらT君が戻ってくると同時に同じ班の子が外に出てきました。「黒アゲハは飛べたかな」「まだいるかな」と言いながら、逃がした畑を探しています。それを見てT君が「もういないってことは、無事に飛べたんだよ」と青く澄んだ空を見ながらみんなに伝えました。それを聞いた子どもたちは「元気でね~」と空に手を振っていました。みんながバスに乗り込むときにT君が私にところにきて、「このことは、みんなには言わないで、みんなショックを受けるから。」と言って、うつむきながらバスに乗り込みました。

あのとき、「早く逃がせば生きていたのに」ということを言わずに、すべての責任を自分で背負い、仲間の気持ちを考えて黒アゲハを埋めたT君は苦しくて切ない気持ちだったと思います。
あれから毎夏、黒アゲハが必ず私のまわりを飛ぶようになりました。「T君が守った仲間の笑顔、その優しさは黒アゲハもわかっているよ」といつか伝えてあげようと思います。
黒アゲハを見ながら、今年の夏もT君のことを思い出しました。

 

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