【152】わからない、は間違っている
「よーいスタート!」
「…どういうこと~!」
算数大会の問題挑戦が始まると、初めて見る問題にものの数秒で嘆いていた1年生。
「どれ?」
と優しく聞いてあげる2・3年生。
小学生算数大会にて、あらゆるところで見られた光景です。今回の大会から「隣の子であれば相談OK」としました。コロナ禍においてこれまではほかの子との相談はなし、という形式で行ってきましたが、昨今の感染状況からひとまず隣の子であればOK、とすることになりました。
教えている子は答えが言えないので「この足の形を見てごらん」とヒントを出したり「そういうこと!」と考え方を認めてあげたり、相手を思いやって接していることがはたから見ても伝わりますし、教えられている子にもその思いやりがもちろん伝わっていて、安心して考える姿がありました。この姿が、なんとも美しく心打たれます。
ある問題で、その空気はぱたりとなくなりました。「ちょっきん、どんな形?」は、折り紙を折って切って開いたとき、どの形になるか選択肢から選ぶ、という問題です。実物の折り紙は手元になく、問題の平面図のみで考えるとなると、問題の意味理解、折り紙を開くイメージを持つ空間認識力、折り紙を二回開く過程を記憶する力、図形センス、求められる力が多い問題でした。
この問題には経験豊富な2・3年生でも「?」という表情の子が多く、教室の空気がすこし淀んだように感じました。
「わかんないな~」
1年生が口火を切ると、これまで言っていなかった2・3年生も
「わかんない~!」「意味わかんない」
と口々に言い、教室内がわからないという言葉で埋め尽くされるようでした。
一度、手を止めて私の話を聞いてもらいました。
「わからない、って言っている人がいるね。それは、間違っているから言わないほうがいいよ」
…いやいや、わからないと感じたからそう言ったのに、間違っているってどういうこと?先生が変なことを言っている。そんな表情で私を見る子もいました。
「この問題を見て、考え方がピンと来なくて困っているんだよね。でも、その時のみんなの気持ちって本当は『わかりたい』なんだよ。そう思っていなければ、わからないと言う必要がないよね。何も言わずに考えるのをやめればいい。わかりたい、けどうまくいかない。それがみんなの本当の気持ちのはず。
だからみんな『わからない』って言うの、やめよう。言いすぎるとだんだん『私はわからない、わかることができないんだ』って諦める気持ちになってしまうから。わからないじゃなくて『わかりたい』って言おう。」
ではあと2分、よーいスタート!
途端に教室を埋め尽くす「わかりたい!」コール。先生たちは走り回りました。そんな前向きな言葉をかけられたら、助けてあげたい気持ちがさらに強くなるものです。淀みを感じさせていた教室の空気は一気に循環をはじめ、熱を帯びた強い流れの空気に代わっていきました。
何事にも「わかりたい」と思っていれば、言葉にしていれば、学びの意欲が止まることはなく、その場の雰囲気を良いものにし、理解が深まっていく。私は強くそう信じています。