【141】背中を押してくれた人
中学2年生の6月。夏が本格的に近づくにつれ、同時に3年生の部活動の引退が迫っていました。「誰が私たちの代の部長になるのか」私が所属していた卓球部では、先輩、同期共にソワソワし始めていました。そんな頃、顧問の鶴見先生に言われた一言が今でも忘れられません。
「部長をやってもらおうと思っている。」
この一言を言われた私は、凍りつきました。人前に立って指示を出すのは苦手だし、私たちの代は先輩たちに比べ、一際やんちゃなメンバーが集まっていました。最初に思ったことは「絶対、無理!」。私にできたことは、「まだ、思っているとしか言われてないから確定じゃないんだ。」と無理やり思い込むことでした。
しかしそんな思いも虚しく、いざ就任すると苦難の連続。何度も心が折れ、部活動に行くのも嫌になり、学校への行き帰りで一人涙を流したこともありました。私の気持ちは「もう部活動を辞めたい!」。楽しかったはずの卓球が部長をやることによって嫌いになっていき、その度に鶴見先生に相談しました。
「やれると思ったから指名したんだ。できないやつには頼まないぞ!」
「あえてみんなの前で叱ってるんだ。気を引き締めるために。お前が頑張っているのは俺が一番分かっている!」
「団体戦では重要なところで起用する。お前で負けたら俺は諦めがつく!」
鶴見先生にかけられた言葉は数えきれません。人前に出る度に顔を真っ赤にしていた13歳の少年に、前に立つ機会をたくさんくれました。部員が70人もいたため、まとまらないこともしばしば。そんな時にも厳しさと優しさで私を包み込んでくれました。厳しすぎても心が折れていただろうし、優しすぎても慢心が出るだけ。いい塩梅で思春期の私と向き合ってくださったことは、引退するときに気づきました。
部活動引退の日に鶴見先生から投げかけられた言葉。
「ありがとう。たくさん助けられたよ。」
私の方こそ感謝の気持ちで溢れているのにも関わらず、中学生の私に感謝を伝えてくれました。大人と子どもという垣根を作らず、一人の人間としてぶつかってくれた鶴見先生を尊敬しています。
何度も背中を押してくれた鶴見先生。鶴見先生と出会えたことで私の人生は変わりました。そして今、子どもたちと真正面から向き合える仕事に就いています。
花まるに通う子どもたちの多くは、自分の意見を持っています。たこマン(発想力、プレゼンテーション力を鍛える教材)やさくら(精読力、発表力を鍛える教材)では、その意見を外に発することができます。しかし、自分に自信がなく発表をすることがなかなかできない子もいます。手を挙げられない子でも、「紙に書いてごらん。」と促すとスラスラ書けるということもよくあります。その子たちの気持ちはよく分かります。それは、かつての私が発表などできる子ではなかったからです。なかなか勇気が出ず、一歩を踏み出せない。そんな子たちの背中を押していきます。かつて、鶴見先生が私の背中を押してくれたように。
そして、そのためには教室全体で周りの子の意見を尊重する空気感が必要です。
「みんなちがって、みんないい」
金子みすゞさんの「わたしと小鳥とすずと」という詩にはこのようなフレーズがあります。
―みんな違うことをみんなが理解し、仲間を尊重する。自分1人では決して生まれなかったけれど、仲間がいたからこそ意見の違いが生まれた。その違いを楽しむー
この花まるが自分の殻を破れる場所。さらに自分の可能性を引き出してくれる場所。そして、自分の個性を発揮でき周りが認めてくれる場所。そんな子どもたちの居場所となれる教室を作ってまいります。