【125】いったい誰に叱られる?
子どもたちがいつでも楽しく、没頭して学び続けられるように。
こうした気持ちを胸に日々、現場指導にあたっている花まる学習会ではありますが、「ここだけはどうしても頑張り抜いてほしいな。」というものもあります。それは漢字学習と毎週の宿題です。代表の高濱も「泥臭く頑張れることが鍵」とよく語っているのですが、コツコツ頑張っていくことでしか得られないような学びもあります。ただ多くのご家庭で頭を抱えているであろうこの悩み、すぐに解決するというのはやはり難しいことなのでしょう。
こうした話をしていて思い出すのは、宿題などのコツコツ学習になかなか向き合えなかった5年生Nくんのことです。授業後、他の子どもたちを見送って教室を振り返ると、先ほどまで「ふん!宿題なんかできなくたって別にいいしー!」とニコニコ笑顔を浮かべていたNくんが、珍しく肩を落としてポロポロと涙を流していました。隣に座るお母さまとの話を聞いてみると、その週の宿題が最近できていなかったことと、直近に控えた漢字テストのストレスに耐えきれなくなってしまっていたようです。お友達の前では強がっていても、やはり勉強にはなかなか向き合えない自分に悔しさを覚えていたようでした。
Nくんの家庭は父母ともに理系専門職のご家庭で、週末には理科実験イベントに出かけたり、オンライン授業の時期には大好きなカナヘビや小型ロボットをうれしそうに見せてくれたりしていました。直接本人から聞いたわけではないのですが、もしかしたら両親のように、自分の好きなことを研究し続ける未来を夢見ていたのかもしれません。ただ宿題のように面倒に思えるものは、絶対にやりたくない。そんな考えのNくんにとって、漢字練習はとても苦しいものだったことでしょう。
そんなNくんに私から伝えたのは、「“将来の自分”には叱られないようにしなさいね」ということです。今から10年、20年経ち、子どもたちが大きくなったときに遠くから見守ってあげることはできますが、隣でずっとサポートしてあげるようなことはできません。「あのとき勉強しておいてよかった」「どうしてあそこで諦めてしまったんだろう」と、大人ならば誰しも考えたことがあるかと思います。
もしNくんが将来研究職に就きたいと思ったとしても、漢字や英語がまともに読めなかったり礼儀の一つも知らないと研究室に入れてもらえないかもしれません。それで後悔するのは、他でもなくNくん自身です。この立場でこのようなことを書くのも恐縮ですが、私たち大人に少し叱られたところで、人生がとんでもないことになってしまうことはありません。
ただ将来の自分に叱られてしまうということは、それはきっと自分で後悔してしまっているということだと思うのです。誰もが大人になってからやっと気づかされるものかと思いますが、やはり勉強は自分自身のためにするものだと思うのです。
そのような話をNくんにもすると、ハッと何かに気づかされたようでした。それから漢字テストでは無事合格点を取り、家庭での宿題への向き合い方も少しずつ変わっていったとのことでした。自分はいったい何のために、誰のために勉強しているのか。それが少しずつわかってきたからなのかもしれません。
大人になってふと「少しおなかがでてきたかな」などと気にすることが増えました。そんなときは「ああ、あのとき食べたラーメンがいけなかったんだな」「最近運動できてなかったもんな」と、自然と過去の行いを振り返っていることに気づかされます。でもその行動をとったのも自分自身。失敗を受け入れて、また前に進もうとするのも自分自身でなくてはなりません。恥ずかしながらも、私も身をもって痛感させられました。
でも逆に言えば、自分のやってきたことが将来の自分に褒めてもらえるようなこともたくさんあるということでもあります。それがまだ子どもたちにはピンとこないというだけで、きっといつかNくんのように実感してくれることでしょう。あとはそれを本人の代わりに愛情を持って伝えてあげることこそが、大人である私たちの役目なのかもしれません。将来の自分には叱られないようにね、と。