【117】おぼつかなき心
以前教室で担当していた当時小1の男の子F。彼との出会いはとても衝撃的なものだった。
私「○○ページを開けるかな?」 F「…」一向に開こうとしない。F「オレは、△△(某アニメのキャラの名前)よりも強いんだ!」と言いながら、こちらの言うことは基本的に拒否。テキストはえんぴつで真っ黒、そして丸めてぐちゃぐちゃにして、挙句の果てには床に投げてしまう。とにかく自分に指示をしてくれるな、という気持ちでいっぱいだった。「さぁ、どうしようか。これは大変だ。」いろいろなことが頭でぐるぐるした。臨機な対応をすることがもとめられる中で、最初ちょっと叱ってみたが、これは思いっきり失敗。彼は叱られることに慣れてしまっていて聞く耳をもたない。「これは、いけない…!」と思って、すぐに方針転換。無理にさせよう、ではなく、できるだけやってみよう、ということに切り替えた。少しだけでもうまく流れに沿ったり声を出せたり、話ができたりしたら、いいねと伝えて、それを繰り返していった。とは言うものの、手ごたえはまったくなく、「これは、来週は来ないかな…」と思っていた。
しかし、Fは次の週も授業に来た。今週もできるだけやってみるという方針で進めようとしたものの、なかなかやろうとしないF。ふざけた態度(に見える)でいろいろ言いながら、やらないように話をもっていこうとする。ただ、前の週よりはまだ話ができるかも、という雰囲気を感じたので、「やりたくない理由があるの?」とたずねてみた。
「…どうやって書いたらいいかわからないんだ。」とFがボソッと言った。
これを聞いた瞬間、彼の内側の世界に少しだけ入れたような気がした。Fにとって、自分がうまくいかないことだと予想ができたとき、それに向き合うのはこちらが思う以上にとてもとても苦しくて、我慢のしがたいことなのかもしれない。そう思えた。
それから、Fへの指導は、親御さんにお願いをして一緒に協力しながら(例えば辛くなったらすぐに帰れるように早めにお迎えに来てもらう、事前に問題を見てくる、わからないときにはわからないと言う練習をしてもらうなど)、とにかく不安をやわらげるような方向で進めていくようにした。そして本人ができたことを一緒に喜ぶ。うまくいったことばかりでは決してないけれど、彼は一歩一歩成長をしていった。「ママを守れるような警察官になりたいんだ。」と作文に書いたあの日の授業は私にとって宝物だ。
生きている限り、うまくできなかったり間違ってしまったりすることは誰にでもあることで、それらを受け入れて力に変えていくことは学習をしていく上で非常に大切な部分です。しかし、
「うまくできない、間違っている自分を受け入れることは、私たち大人が思う以上に痛み、あるいは不安を伴うもの」
なのかもしれません。実際にどこまで苦しいのかは、こちらは推測するしかありませんが、そうかもしれない、と思うことで私たちの子どもたちへの声のかけ方は変わるのかなと思います。そして、全部の痛みや不安を除去することはできませんが、それらを和らげる方法は必ずあります。痛みや不安は、子どもたちが成長するために立ちはだかる壁のようなもの。その壁を乗り越えられたときには心身ともに大きく成長をしていきます。子どもたちがそれぞれの方法で乗り越えられるよう、保護者の皆さまと一緒に子どもたちの心に寄り添っていけたらと願っています。