【115】向日葵
連日のように猛暑が続いています。街中では、向日葵を目にする機会が増えてきました。
私が通っていた小学校の花壇にも、向日葵が植えられていました。最初は私の腰ぐらいの高さだったのに、いつの間にか私と肩を並べ、あっという間に身長を抜かされてしまいました。自分より背の高い花を見るのは、これが初めてでした。「茎」というより「幹」という言葉の方がふさわしいのではないかと思うぐらい、力強く太くなっていく茎に毎回驚いていました。毎朝校門を通るたびに、まるで太陽に吸い寄せられるようにグングン太く長く伸びていく向日葵を見て、一体この花はどこまで伸びていくのだろう、と子どもながらに不思議に思いました。
花に対して、簡単に摘めて簡単に折れてしまうようなイメージをもっていた私。向日葵を前に、今まで感じてこなかった植物の底知れぬ生命力を目の当たりにし、向日葵に対して何とも言えない畏敬の念を覚えたものでした。
私が担当しているとある幼稚園教室。その敷地内にある花壇に向日葵の花が咲いているのに気が付いたのは、つい最近の話です。8分咲きといったところでしょうか。まだまだ大きくなって行きそうな向日葵を前に、低学年の子どもたちがまぶしそうに向日葵を見上げていました。
私が気が付く前から向日葵はそこにあったはずでした。でも私は気が付きませんでした。視界に入っていたとしても「ああ、向日葵だな」というぐらいの認識で、気にも留めずそのまま忘れてしまっていたのかもしれません。
花を咲かせてくれたことでその存在に気が付くことができました。
よく子どもの成長を花の成長に例えますが、本当にその通りだなと感じます。
その子の能力は確かに花を開かないと、こちらはなかなか認識できないかもしれません。でも、見えないだけできっとその能力は潜在的にあるはずです。真っ新な土の上に落ちる種も、いつどこからやってくるかわかりません。その芽がでるタイミングも周りの環境に左右されることだってあるでしょう。茎の伸び方も伸びるスピードも、みな違います。
とある高学年の女の子が言葉調べの宿題で、向日葵の意味を調べてきました。「夏の太陽に向かい、必死に生きる花」。
この言葉を見た瞬間、ああ、みんな必死に生きているのだ、と思いました。教室の子どもたちはまさに夏の太陽の下で輝く向日葵なのです。
6年生のMくんは、宿題が思うようにできず苦戦していました。Sなぞの解説の時間、花まるがついた友達のページと自分の真っ白なページを見比べて、「なんでみんなそんなにできるの…」と呟いていたのが2ケ月前。その時私は気が付きました。Mくんはただサボっているわけでもなく、逃げているだけではありませんでした。Mくんなりにできない自分に苦しんでいたのです。そこから心機一転、自宅でお姉ちゃんのアドバイスをもらいながら積極的にSなぞを取り組みようになると、正解率も上がってきました。そしてそれに釣られるように、算数やサボテンの宿題の取り組みも上向きになってきたのです。だんだん自分に自信をつけていっている様子がMくんの表情から感じとれました。Mくんの心の向日葵が咲いた瞬間です。
街中に咲いている向日葵をよくみると、茎の形は曲線を描いています。その曲がり方はそれぞれ異なります。子どもたちの人生を表しているようです。成長の仕方は人それぞれ。
時には曲がったっていい。遠回りをしたっていい。太陽を目指して元気に育ってくれれば、それでいいのです。そして私は、晴れの日も、雨の日も、その向日葵たちに光を当て続ける存在でいます。
また元気に教室でお会いしましょう。素敵な夏休みになりますように。