【112】キューブが崩れたモヤモヤから…
小学生クラスで使用している「キューブキューブ」。9つあるピースの中から指定した2つを使い、司会が見せたものと同じものを試行錯誤しながら作り出します。最近、次の教材に移る前にキューブキューブで高積み競争を行っています。30秒間タイムを計り、その間にできるだけキューブを高く積んでいき、最終的に誰が一番高く積めるかを競うのです。
3年生のA君は毎週張り切ってその競争に取り組みます。しかし、ある日彼の前に座っていたM君の椅子がA君の机にあたり、その衝撃でガラガラと音を立ててキューブが崩れてしまったのです。
「うわっ!崩れたぁ!」
その声に気づいて後ろを振り返ったM君は自分が崩してしまったことを悟り、「あっ…」という表情を浮かべて固まりました。もちろんM君に悪気などはありませんでしたが、一生懸命積んでいたものを自分が壊してしまった、というショックからA君に対して何も言えないでいたのです。A君自身もM君がわざとしたことでは頭ではわかっていたでしょう。けれども、自分が真剣に積み上げたものがたった数段しか残らなかった、その悔しさから
「そこまでー!何段まで積めたか数えてみよう!」
という合図を出した瞬間、床に落ちたキューブを全て拾い、私の言葉を無視してそのまま積み上げを再開。そんなA君の様子を見て、謝ろうとしていたであろうM君は、僕はどうしたらいいんだ?!という困惑した様子で私を見つめてきました。
「悪気はなかったんだよね、わかっているよ。」
と私は彼に小声で伝え、席に座るよう促しました。A君を気にしつつも、目の前のことに集中しようとキューブの段数を数え始めたM君、そして遅れた分を取り戻そうとせっせと目の前のキューブを必死に積んでいたA君を私はじっと見ていました。しかし、結果は2年生の女の子が19段の記録を出し、一番に。教室の皆でその女の子に拍手を送り、次の教材へ移るよう私は全体に声掛けをしました。一方A君はというと、先ほどの最高記録の19段に自分もたどり着くまで自分も積むのだと言い張り、一心不乱にキューブをカチャカチャ…。本来であれば、次の教材に移るよう促すところではありますが、この時私は敢えて彼を見守りました。これはあくまで私の想像に過ぎませんが、A君はキューブが崩れてしまった苛立ちやショックをどうにかこうにか自分で解消しようとしていたのではないかと思います。“もういい、やりたくない!”と投げやりになるのではなく、また、「お前のせいだ!」などとM君にあたるでもなく、ただただ自分が納得するまで積み上げる。そうすることによって、行き場のない感情をどうにかしようとしたのだと。チームの先生にサポートしてもらいながらなんとか満足のいくところまでキューブを積めたA君はその後、自ら片づけをし、ほんの少しスッキリした表情で皆と共に次の教材を進めていきました。
私たち大人も、どうにも自分の思い描いたとおりにならなかったら、多少なりともショックを受けたり、現実を受け止められないでいたり、やり場のない気持ちを抱えたりすることがあるでしょう。その感情を誰かにぶつけるのではなく、自分でどうにか解消させていく。気持ちに折り合いをつけていくことをA君は覚えたのではないかと思います。
学ぶ、とは国語や算数などの勉学だけを学ぶというのではありません。悔しいこと、辛いことを乗り越えていくということも学ぶ、ことの一つだと思います。今回起きたのは「キューブが崩れたこと」、言ってしまえば、“たったこれだけ”のことではあります。些細な出来事なのですが子どもたちにとっては一大事。そんな局面を乗り越えた先には、A君のように、ほんの少し成長した子どもたちの姿があります。うまくいかないと悩むことや投げ出したくなることがあっても、何度だって私たちが手を差し伸べます。時には自分で起き上がることをじっと見守ることもあります。どこまでも子どもたちの成長を信じて。