【101】届けたい

 5年ほど前の9月のある日。
 「お母さんが『(志望校を)下げたら?』って言ってくるんですよ!」中3女子Aさんが怒りながら私にそう言ってきました。
 そんなAさんをなだめつつも、お母さんがそう言うのも無理ないだろうなと思っていました。志望校の偏差値に届いたことが一回もなかったからです。ただ、まだ9月です。受験まで十分な時間があります。ここで諦めるのはまだ早い。諦めたらもう届くことはないだろう。そんな気持ちもあって、お弁当を届けに来たお母さんに、Aさんが言っていたことについて話しました。すると、「実はそう言ってしまいまして…あの子の偏差値が届いていないものですから、もう諦めて志望校を変えたほうがいいんじゃないかと思いまして…」と、申し訳なさそうにお母さんが言いました。
 失敗して傷ついてほしくない、我が子をそうさせてはいけないという親心です。しかしその気持ちはAさんには届いていませんでした。それどころか、マイナスの作用を生んでいました。自分が志望校の偏差値に届いておらず、それでも諦めたくないと必死に努力していたAさんにとって、「下げろ」と言われることは可能性が否定されているようで辛いことだったのです。何とかしなければ。と思っていたとき、お母さんがぽそっと、「でも、本当はあの子の行きたいところ、どこでも応援してあげたいんですけどねえ…」とつぶやくように言いました。
 これだ。これをAさんに届けないと。きっとお母さんの「応援してあげたい」という想いは届いてはいない。だから何としても伝えなければと、そう強く思いました。
 その週の日曜日の午後。Aさんがいつも通り自学室に来ました。ちょうど職員室には他に誰もいなかったので、これはチャンスだと思い、「この間ね、お母さんと話したよ。」とあくまでさりげなく言いました。すると「ああ、そうですか」とつれない返事で、「それがどうかしたんですか?」とでも言いたげな顔をしていました。「いや、それでね、お母さんがね、Aの行きたいところだったらどこでも応援してあげたいって言ってたよ。」と言いました。するとAさんはたった一言、「ああ。」とだけ言いました。表情は変わらず仏頂面のまま。私は伝わらなかったか…と落胆しつつも、何か言葉をかけるべきか、どんな言葉を出そうかとAさんの様子を窺いながら思案していました。
 すると、突然、本当にさあーっとAさんの顔が真っ赤になりました。そして目から大粒の涙がこぼれてきました。そのまま、無言でしばらく泣き続けていました。Aさんは仏頂面だったのではなくお母さんの言葉と気持ちを噛みしめていたのでした。伝えられて良かった。「良かったね」と私が言うと、手で目をおさえながら「うん」と大きく頷きました。どんな子だろうと、たとえ反抗期だろうと、親に応援されて嬉しくない子はいない。改めてそう思いました。
 「親の心子知らず」という言葉があるように、子どものために良かれと思ってしたのに逆にマイナスに作用してしまった、ということはよくあることです。特に子どもが思春期になれば、親子間の意思疎通がより難しくなる…。そうだからこそ、親と子の架け橋になること、それもまた私たちの役割だと思っています。
 さて、Aさんはその後、1.9倍の激戦となった入試を突破し第一志望の公立高校に合格しました。合格発表の日、校舎に来て満面の笑みで報告してくれたAさん。その横にはうれし涙を流しているお母さんの姿がありました。

 

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