先日、clubhouseという音声メディアでお話しした際に反響が大きかった「じゆうを知らない子どもたち」について、今回はさらにお話ししようと思います。
保育園で子どもたちを見ていると、誰でもみんなが「なんで?」といろいろなことを聞いてきます。身を乗り出して、「次は何を学べるんだろう!」と、新しいことを知ることが嬉しくて仕方がない様子です。人は本来、学びたい生き物なのだなあと感じる瞬間です。
「私は、与えられたものしか知りたくありません」というような幼児には出会ったことがありません。それなのに、「与えられたことだけをやる」ことに慣れてしまって、「次に何をすればいいのか」を大人に委ねはじめる子がいる。それは一体、どうしてなのでしょう。
あるとき私は、「さあ、じゆうにやってもいいよ」と伝えたとき、「先生、次はどうしたらいいですか?」と聞く子がいることに気がつきました。それは一人だけではありませんでした。
授業中なんども、「~を、してもいいですか?」と聞きにくる子もいます。「いいですよ、“自分が“やりたいと思ったことをやってください」と受容し続けます。これまで、すべてのことを大人に聞いて決めてきた子は、「自分で決める」ことを不安に思います。安心して、納得するまで、その質問はしていいのです。
「どうしたらいい?それは先生にはわからないよ、あなたはどうしたいですか?」何度も何度も同じ問答をするうち、私は「じゆう」の意味について、子どもたちにまず初めに、言葉にして考えてもらう時間を作るようになりました。
いつかその子も気がつきます。自分の人生は、自分で決めていくんだ、と。「じゆう」とは、責任が伴うけれど、達成感に満ちているものなのだと。
もともと持っているはずの、子どもたちの好奇心を押し殺し、「これをやればいい」ことだけを、無理やり型にはめていないだろうか。夢中になっている、没頭している瞬間を、大人の勝手な価値観で遮ったり、自分で決めたりする体験を奪ってはいないだろうか。そのことを、今私たちは胸に問わなければいけないのだと思います。
自分でじゆうに人生を決めていく時代に、「私はこれがやりたい」というものを、自分の中に持っている人であれますように。
井岡 由実(Rin)
国内外での創作・音楽活動や展示を続けながら、 「芸術を通した感性の育成」をテーマに「ARTのとびら」を主宰。教育×ARTの交わるところを世の中に発信し続けている。著書に『こころと頭を同時に伸ばすAI時代の子育て』 (実務教育出版)ほか。