【高濱コラム】『無人島教育』2020年10月

【高濱コラム】『無人島教育』2020年10月

久しぶりに渋谷駅で降りてみて、駅と周辺の構造の変貌ぶりに驚いた方は多いのではないでしょうか。
私も先日、電車を乗り換えようとして道に迷ってしまいました。
ビットバレーと呼ばれITの先端企業群が集まってきた街がこのように形を変えたことは、「変化」を象徴するできごとだなと感じました。
現代人の必読書「シン・ニホン(安宅和人 著)」にもあるように、AIやロボット工学など技術の発展は、エクスポネンシャル(指数関数的)であると予測されています。
この第四次産業革命は始まったばかり。
頂上の頭脳を揃えてすら誰も「未来は明確には予想できない」と言うほどです。
これからいよいよ急激な変化が起こるのでしょう。

そんな世界を参加者の一人としてずっと眺めてきたのですが、先日思い立って、60の手習いで一週間集中のプログラミング特訓を受講しました。
願うほどの進化ではなかったものの、やって良かったなと思えるくらいには、知らなかった知識を吸収することができました。
今さら新しいことを学ぼうなどとしなくてもよいではないか、という思いもなかったわけではありません。
しかし、なぜ決めたかというと、世界の急激な変化の中で仕事をするということは、未知の国に引っ越すようなものです。
その新世界の基本言語を語れずに、どんな分野であれ、力ある仕事はできないなと予想したからです。
具体的な壁に当たってもいました。
社内のシステムを構築したり変えたりするときに、SEの人と会議をするのですが、自分としてはシンプルに表現しているつもりでも、言いたいことを伝えきれないもどかしさを何度も感じていました。
あちらはあちらで「ちゃんと要件定義してくれよ」と苛立っているのですが、こちらも伝わらなさにヘトヘト。
では、と、ざっくり外に丸投げすると、それなりの金額を要求され、改変のたびにまた高い金額を要求される。
コールタールの海で泳ごうと苦しんでいるようでした。
ここは、異次元に住む彼らのワールドの言語を片言にせよ習得して、円滑なコミュニケーションを図らなければならないと考えました。
実は、若い頃にある塾でマンツーマンで教えていたKくんという子が、今やタクシー業界のリーダーになっているのですが、50歳になる彼が同じ問題意識でプログラミングを学んだということを、ネットの記事で読み、「あいつがやれるのなら私だって」と、触発されたのです。
やってみたら、特に学びの入り口で苦しかったですが、わかり始めると楽しく、「あー、食わず嫌いであきらめなくて良かった」と感じました。
いずれにせよ、「リカレント教育」という言葉が流布したように、変化の時代にあっては、大人になってからも学び続けなくてはならないことは確かです。
久々に、試験勉強をしたときの感覚がよみがえりました。

さて、こういう話は少々重苦しいものです。
なぜなら、「足りないことに追いつく」というテーマの話だからです。
先手を打って世界を変える側に回れば愉快でしょうが、追いつくことはどこかで後塵を拝している感じがあるからでしょう。
今回語りたいのは、そこではありません。
この急激な変化の時代に、わが子をどう育てるかということです。
プログラミング?いやいや、それは彼らが大人になる頃には、リーダー層の標準装備になっているでしょう。
国語の学習のようなものです。
やらなければならないマスト課題ですが、他と比べての強みということにはなりにくいと思います。
それに、その時代には、学ばねばならないさらに新しい何かの技術が生まれているでしょう。
しかし、未来がどうなるにせよ、恐れることはありません。
社会のプレイヤーである一人ひとりは、風邪もひくし夫婦喧嘩もする、普通の人間です。
その人間集団の中で、わが子がどう活躍していくのか。
そう考えると、子育てにおいて重要なことは、「大人になっても勉強し続けなければならないよ」と伝えることでもありますが、それ以上に、現在想像できないほどの未来がやってきても、自分の目と感性と頭脳で、課題を見抜き、必要なことを決断し、よしやるぞと思えば習得しきれる学習力と心のパワーを内側に育ててあげることでしょう。
しなやかで強靭な「人としての芯を作る」こと。
強烈なエンジンを持たせることとも言い換えられるかもしれません。
そう見切れば、課題は明確に見えてきます。
主体性や好奇心が学びの入り口でもっとも大事なこと(やらされで伸びることはたかがしれている)ですから、小さい頃からの遊びっぷりが、肝心かなめです。
関心を持ち、取り組んだらとことん没頭する子であるように。
大人にとって「価値」がないように見えることにも、意味は必ずあります。
学びはいつも楽しさや喜びとともにあるようでありたいです。
理科なら理科の喜びを、社会科なら社会科のおもしろさを伝えたい。
一例をあげると、走り回る中で世界を感覚としてつかみ、パズルやアルゴや囲碁に没頭したような子が、算数の思考力問題に取り組んで「考え抜き、自分で発見し解ききる醍醐味」を一度知ると、やめなさいというくらい算数・数学にのめりこみます。
直接何人も見てきました。
それは、「点数を上げるためにやらなければならないもの」ではなく、「おもしろくて仕方ないもの」として彼が身につけたからです。
筋の良い問題を「いい問題ですねー」と評価し、難問であるほどに燃えるようになります。
「学ぶ力」が迫力と言ってよいくらいにつくのです。
また、「どんな状況にも対応できる心の構え」も、現代にあって親として意識して育てたいものでしょう。
レジリエンスという言葉がもっとも近いでしょうか。
逆境なら逆境で、嘆いたり愚痴を言うのでなく、きちんと状況を見つめ、可能な改善法・解決法を見出し、たんたんとやりきる心の構え。
これを育てるのが、今の大きな問題です。なぜなら、人類全体として、より便利さを追求してきた結果、例えると「守られた無菌室で冷暖房のリモコンを操作するのが上手な人」が育っているからです。

そこで、無人島教育です。
そもそも花まる学習会がサマースクールを続けてきたのは、空間認識などの知力の核心部分や、躍動する心や、人間関係の力を育てたかったからですが、高学年になるとテント設営から火おこし・料理・片付け・風呂沸かしなどすべてを自分たちでやるサバイバルキャンプがあり、ここがゴールの一つでした。
そのさらに上に、無人島コースを作ります。
6年生にも相応の課題を提供できますし、中高生にはちょうどよい「生きる力」の学びの場になると確信します。
目下、賛同してくださる保護者の皆様に「開拓団」として来ていただく前準備をしています。
どんな遊びができるかも、あれこれ試しています。
夏に行ったときは、森から調達した棒切れを釣り竿にして釣りをし、魚を釣ることができました!
道具がなければ自分で作る。
子どもたちに経験させたいことの一つです。
東京ドーム二個分の広さがあり、浜辺も岩場も山もあります。
締め切りに追われてパソコンで原稿を打っていたら、木の上から30センチくらいある大きなトカゲが落ちてきたこともありました。
ないものだらけで、不便で、いろいろな生き物がいる状況をむしろ楽しみ「やってやろうじゃないの」と思える子を、たくさん育てたいのです。
オンライン教室もはじまりました。
それに加えて、花まる無人島は、これから100年続く「子ども冒険島」として、そして最高の野外体験の場として、育て、新世代に引き継いでいきたいと思っています。   

花まる学習会代表 高濱正伸


著者|高濱 正伸

高濱 正伸 花まる学習会代表、NPO法人子育て応援隊むぎぐみ理事長、算数オリンピック委員会作問委員、日本棋院理事。1959年熊本県生まれ。東京大学卒、同大学院修了。1993年、「メシが食える大人に育てる」という理念のもと、「花まる学習会」を設立。「親だからできること」など大好評の講演会は全国で年間約130開催しており、これまでにのべ20万人以上が参加している。『伸び続ける子が育つお母さんの習慣』『算数脳パズルなぞぺ~』シリーズ、『メシが食える大人になる!よのなかルールブック』など、著書多数。

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