こころと頭を同時に伸ばす 幼児期の子育て8
子どもとは、すぐ泣き、よく笑うものです。
喜怒哀楽が自然にできる彼らは、喧嘩をして泣いたかと思うとケロッとしてまた遊びながら笑っている。
大人もあれだけさっぱり感情表現して、さっさとこころを切り替えられれば、世界はずいぶん違ってくるだろうなあと、子どもたちを見ているといつも思います。
人は悲しくて泣き、ホッとして泣き、びっくりして泣き、笑いながら泣きます。
「泣く」という行動は、人間の感情表現の中でもじつにバラエティに富んでいる。
世の中には「泣かせる」映画があふれていることを考えると、「泣く」ことは感情表現としてとても大切なものであることは確かです。
ある研究によれば、悲しいときの涙には、ストレス反応によって分泌されるホルモンが含まれていて、それを涙で排泄することによって気持ちを落ち着けているそうです。
やはり何らかの調整行為でもあるのでしょう。
こころと身体はつながっていて、たとえば悲しいことや、怒っていることを我慢していると、身体には自然と力が入り、硬くなってきます。
20年前、不登校の子どもたちと対話する中で、彼らの体がとても凝っていることに気がつきました。
彼らの背中や肩に手を当て、ただ温めてあげながら話をするだけで、すーっとゆるんでくる。
そういうことがありました。悲しさや憤りを吐露することで、おそらくこわばってしまったものが緩んでくるのでしょう。
悲しいときに我慢しないで泣いていれば、きっと硬くはならないのだけれど、感情をぐっとこらえて固めてしまうと、そのまま心のわだかまりや、身体のこわばりを抱えてしまう。
「泣く」ということは、私たちにとってただ単に涙を流すということ以上に大切な表現であり、排泄でもある。
「泣きたいときに泣ける」子どもたちの素直な表現のあり方は、実は私たち大人こそが見直さなければならない心のあり方であるのかもしれません。
毎月開催しているAtelier for KIDsでは、創作活動を通して、言葉にならない感情を浄化していくプロセスを経ているんだなと感じる場合も少なくありません。
「いい子でいなくてはならない」殻から飛び出して、自分らしさを表現することの喜びに気づく子、誰かが用意してくれた世界で、誰かの気に入るように生きるのではなく、「自分が納得していくこと」を大切に扱う経験を積んでいく子…。
それらは、泣きたいときにちゃんと泣けるかどうか、と同じくらい大切な体験なのだと思わざるを得ません。
泣きたいときに泣き、表現したい感情を、素直に吐露できる場所が、どの子にもありますように。
井岡 由実(Rin)
国内外での創作・音楽活動や展示を続けながら、 「芸術を通した感性の育成」をテーマに「ARTのとびら」を主宰。教育×ARTの交わるところを世の中に発信し続けている。著書に『こころと頭を同時に伸ばすAI時代の子育て』 (実務教育出版)ほか。