【すてきな サムシング②】『鴨長明トレイル』橋本一馬 2025年7・8月

【すてきな サムシング②】『鴨長明トレイル』橋本一馬  2025年7・8月

アウト・ドア。それは、家の外ではなく、安泰の外。コンフォートゾーンの内側で冒険が眠りつくとき、ドアは現れる。しかし、思い切ってドアの外に踏み出せば、そこにはきっと人生を変えてしまうような「何か」———「すてきなサムシング」が待っている。これは、職人がアウトドアで見つけたサムシングのレポートである。

 紙に書かれた思想は、砂に残った足跡に過ぎない。たどった道は見える。だがその途上で何が見えたかは、自分で見るしかない。――ショーペンハウアー『読書について』

 じゃあ、同じところを歩けばいいってこと? という単純な思いつきで旅に出ることにした。0時発の夜行バスに乗って翌朝7時着、半分寝ながら立っていたのは京都駅である。目当ては鴨長明の足跡。彼が残した名作『方丈記』には、当時長明が歩いた山行の記録が残されている。「炭山を越え、笠取を過ぎて、或いは岩間に詣で、或いは石山を拝む。」京都から東に山を越え、滋賀へと抜ける20~30㎞の行程。800年も前の記録ではあるが、地名や地形が変わっていなければ、いまも同じルートを歩ける(はず)。ここを歩けば長明が何を見たかが見える(かも)。スタート地点は長明の終の棲家であった「方丈庵」。方(四角い)、丈(3mくらいの)、庵(小屋)。その方丈庵で書かれたから方丈記。現在その跡地とされている史跡が京都の東、日野の山中にある。そこから今回のアウトドアを始めよう。名付けて、鴨長明トレイル。

 ところで、なぜ鴨長明なのか。それは、彼の人生がロックだったからである。『方丈記』の魅力は言うまでもないが、それを生み出した長明の人生もまた魅力的なものに私には見える。簡単に紹介しておこう。ルックバック、鴨長明。

 平安末期、京都、下鴨。いい神社の跡取りとして生まれた長明は、18歳で父を亡くしたあと親族との跡目争いに敗れ、若くして神職の道を断たれる。失意の中、己の道を和歌(ロック)に定めた結果、28歳で1stアルバムをリリース、34歳で天皇によるベストコンピレーションである勅撰和歌集に歌が入選、さらには勅撰スタッフとしても採用され、その才能を開花させた。その後も業界で活躍を続け50歳になる頃、なんとその功績によってかつて父から受け継ぐはずだった神社のポストを後鳥羽上皇から推挙される。タイムハズカム、自分をのけ者にした奴らへついに雪辱を果たさんとしたそのとき、「あいつ神社の仕事なんかしたことないですよ?」と普通に現場の抵抗に遭って話が反故になった。代わりに別の神社を格上げして要職を用意されたが、長明の返答は「話が違うんで(ロケンロー)」。天皇のとりなしを断るという狂気を見せて出家した。その後、世を避け人を避け、山奥に移り住んで往生。享年62歳。

 ロックだ。実にロック。そんな長明が晩年に歩いたトレイルを歩いた。消えかけた山道を辿り、熊の気配に怯え、高台で京の都を見渡し、山寺を訪ね、公園で野宿、寒さに震えて朝日を待ち、最後は片足を引きながら琵琶湖のほとりに着いた。長明が見たものを見たかった。

 方丈庵の跡地とされる場所に、江戸時代の碑文が残されている。「自分の死後に何かを残そうとしても大抵はどこかで途絶えてしまうものだ。それでもこの場所が永く残っているのは長明が自らそう求めたためではなく、いつの時代にも長明を慕う人々が絶えず訪れるためであり、それは長明の人柄によるものである」。長明を慕う人々の長い連なりが川となり、彼を時の流れの先へと送り届けていく。私もまた長明を運ぶ人間のひとりであり、過去へ未来へ、時代を越えた連帯感で結ばれていく。ゆく河の流れは絶えない。

花まる学習会 橋本 一馬

 


実際のトレイル
方丈庵(再現)
史跡 方丈石
京都の眺望

🌸著者|橋本 一馬(職人)

花まる学習会教室長。家具職人だった経歴からミドルネームは「職人」。家具製作技能士、狩猟免許、ブッシュクラフトアドバイザー、古代発火法検定など、さまざまな資格や技能を織り交ぜた教育的アプローチが好き。キャンプ行きがち。アイス食べがち。

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