【64】コラムは生き物であり、食べ物だ
コラムを書くのは簡単ではない。さてどうしようか、どんな文章を書けばいいだろうか?と考えているうちにある生徒のことを思い出した。花まる高学年コース6年生のK君だ。
花まるでは作文を毎週書くことになっている。作文といってもテーマが決まっている場合は意外と書けることが多い。ただその時はテーマのない自由作文だった。
何を書けばいいかわからない場合、まずは「今日はどんなことがあった?」と聞いてみる。すると学校であったことを思い出して書いてくれることが多い。
もちろん簡単には書けず、思い出せないケースもないわけではない。そこで「じゃあテーマが無くて書けないこと」をテーマにしてみたら?と提案したこともある。実はこの発言は何人にも言っているが、子どもによってはあまりいい反応をしないこともあった。でも今回のK君、「その手があったか!」とスイッチが入ってくれた。
最初の一文こそこちらから「書くことがありません」から書くように指示を出してみた。でもそれ以降については自分でしっかり考えて書いてくれた。今まで何も書けずに止まっていた状態がウソのように書いてくれた。
そうして出来上がった作文のタイトルは「作文の最終手段」。「何を書いていいかわからない」というテーマで書いてみたら最終的に原稿用紙の3分の2も使う大作になった。K君もここまで書けるとは思わなかったに違いない。
K君のことを思いながら、社員が毎日書く日報を作っていると、ふと「コラムは生き物であり、食べ物だ」と書いていた。でもこの文を見てひらめいた、「これは使える!」と。
何故「コラムは生き物であり、食べ物だ」と考えたのかというと、一旦寝かせてまた考えないといけないその過程が生き物や食べ物と同じだと思ったからだ。コラムは人間の考えがそのまま浮かび上がる。何も思いつかないときもあるし、一気に文章が出てくることもある。そういうところもコラムはまさに生き物だと思ったのだ。
このコラムを作るといってもすぐに書けたわけではなく、推敲をして他の人に読んでもらう作業も入っている。そうして考えるとこのコラムを作る過程は生き物だけではなく、カレーを作るようにも感じる。カレーは野菜や肉を切って炒めて、煮込んでじっくり時間をかける。場合によっては1日おいて寝かせることもある(1晩寝かせたカレーはおいしいというのはよく聞く話)。
コラムのテーマはカレーの種類だ。1つ1つのエピソードや考えは肉や野菜を切る作業だ。どうやって文章をつなげていくかの作業は材料を炒めて煮込む作業だ。そして推敲する作業は寝かせる作業だ。最後のトッピングも忘れてはいけない。文章の締めは重要だ。ここでミスをしてはすべてが台無しになりかねない。ここもカレーと一緒だ。色々比較してみるとコラムはカレーに似ている。カレー以外にもシチューやラーメン等の麺類も同じく似ている。だからコラムは食べ物だとも思える。
冒頭で紹介したKが作文を書いて添削してもらったとき、家に持ち帰ったとき、見た人はどう思うだろうか?見てクスっと笑ったと思いたい。それだけの味のある文章を書いたのだから。作文という「食べ物」を作ったのは間違いなくK本人だが、その食べ物に隠し味を加える役目を果たせたのは良かった。これからも味のある作文を作るために「隠し味を加える」サポートをしていきたいと思う。