【45】グーパーチョキパーで表現する心

 今日のお話は神社の境内の中から始まります。2年生のMちゃんとその母、そして私の3人です。(ここからはいつもの呼び名のように「ちゃん」はつけずに書き進めます)
「振袖姿を先生に見せたい!」とMが母の心を動かして、実現しました。参拝を終えて、ゆっくりと鳥居まで歩こうとしているときのことです。Mの母が「手を握ってもらったら?」とMに声をかけました。私と目が合うとMは言葉を発することはできませんでしたが、手はグーからゆっくりパーになっていきます。「手、つなぐ?」『うん』Mは私の目を見て頷きました。温もりのある、柔らかな手。いま、自分の気持ちを素直に出せるMが目の前にいます。
 花まるで出会った当初、年長のMは「これがしたい!」と口にすることができませんでした。私と目をあわせることさえ、ままならなかったのを今でも覚えています。Mは小学校受験を経験して心身ともにボロボロになっていました。「Mの目の輝きを、意欲を取り戻しましょう!」私とお母さんとの二人三脚が始まりました。ある日、「葛飾北斎の『本物』がみたい!」と言い出すM。お母さんは展示会場を探し出してその日のうちに予約まで取ってしまいました。「先生、行ってきました!」その言葉に母の愛と気迫を感じたのも、記憶に新しいです。あれから3年が過ぎ、Mはもう小学2年生。私の担当する教室が変わっても、ついてきてくれました。二人三脚で歩んできた成長の軌跡。鳥居までの道も同じように輝いて見えました。一緒に歩くMの幸せそうな姿をみて、自身の初恋の記憶が蘇ってきました。手も握れない。それでも同じ歩幅で一緒に歩いている。それだけで、当時の私も幸せでした。
 Mと神社でお賽銭を一緒に納めたあとは記念撮影。手を繋いで境内を歩き、鳥居を抜けて神社の外まで行きました。別れ際に取った一枚の写真。Mの笑顔のそばに指を大きくひらいた「チョキ」のピースが自然と添えられていました。こんなにも笑顔を見せるようになったMの成長に、私の涙腺が思わずゆるみました。撮影を終えて、「またね!」とハイタッチしてお別れをしました。母と二人で歩く姿がなんとも輝かしい。そう考えていると、なぜかMが歩みを止めました。空を見上げて何かを考えています。母に一言伝えたかと思うと、私のそばに戻ってきてこういいました。『ぎゅって、してくれる?』いつもはお母さんに頼んで、自分の気持ちを伝えてもらっていたM。そのMが発した言葉はとても特別な思いを感じました。同時に私はMが花まるに通った、最後の日のことを思い出していました。この日ばかりは自分で何かを言おうとしていました。ただMはどうしても、言葉を発するまでには至りませんでした。
 神社で参拝してから数日後、Mの母から手紙をもらいました。そこには母自身の花まるに出会ってからの心境の変化と、Mの言葉に込められた想いが綴られていました。
『私(母)自身、一番は子どもを信じられると思えたことが昔と違うなと思います。でもこの先不安だなという気持ちも正直あって、私が先生にぎゅっとして貰いたかったくらいです。笑。それはだめだとMに言われました。行く前に「今度こそ、ぎゅってしてもらうんだ!」と張り切っていたので、最後に伝えられてよかったと思います。笑。帰りの電車でも喜んでいました。「今日で最後じゃないんだ。また会えるんだ」と自分に言い聞かせるように何度も口にしていました。先生が笑っていてくれるだけで私達の救いになっていました』
 最後の授業から1か月が経ち、今度は「自分から」言えました。あのとき、残っていた教室でも同じことを言いたかったのかな。でももう、自分の意志で進んでいける。そう思いながらMの姿を見送る私。声が届かないはずの距離まで離れました。横断歩道から見えるMが体も傾けて両手も使いながら、手のひらは目一杯「パー」に広げて手を振っていました。「また帰ってくるね!いい?」そんな声が聞こえてきた気がしました。何かなくても、いつでも戻っておいで。ずっと応援しているよ。
 出会った人たちが、帰って来られる場所の一つでありたい。私が花まるにいる理由のひとつです。

 

まえへ  つぎへ