【38】けんかの理由は笑わせたい

 これまで教室や野外体験で、何度も子ども同士のけんかを見てきました。本人たちはいたって本気で、まじめにというと変ですが、傍から見ると「そんなことで?」と思わず笑ってしまうようなけんかも中にはあります。これは最近私が見た、少し変わったけんかの話です。

■注意よりも先に抱いた気持ち

 今年の4月に神奈川県海老名市にある学童から依頼をいただき、3日連続漫才ワークショップを行ってきました。参加していたのは1年生~5年生。その2日目のことでした。この日は、子ども同士でコンビを組んで、最終日に向けて漫才の台本を作って稽古をします。
 残り時間もわずかとなってきたときに、部屋の隅のほうで何かもめている気配を感じました。他のコンビの漫才へのアドバイスをしていたところだったので、このときは何もせずスタッフに任せておきました。そのあと、ここまでの成果として漫才をいくつかのコンビに発表してもらいました。そのときにさきほどのコンビの一人の男の子が泣いていることに気がつきました。理由を聞いてびっくり。
 お互いが「おれのボケの方が面白い!だからおれの考えたボケをやりたい!」といって譲らなかったから。スタッフは、毅然とした態度でけんかしたことに対して、注意してくれました。一方で私は「なんて素敵なのだろう」と、感動してしまいました。きっと彼らのこれまでの人生で、自分の方が面白いという理由でけんかになったことは一度もないでしょう。しかも、その目的が見ている人を笑わせるため…。こんな風に、誰かを笑わせたいと思う人が増えたら…。

■本気で悔しがる子どもたち

 花まるの教室でも、これに近いことが起こります。低学年授業での「たこマン」のときです。1コマ目の絵を見て、2コマ目のオチを考えるのですが、残り時間から考えて、「あと発表できる子は3人!」そう伝えたあとの“ぼく・わたしを絶対に当てて!”という視線。まるで目からビームが出ているのかと思うくらいです。
 「はい、じゃあ〇〇!」「あと二人…」(じーーーっと目からビーム)
 「じゃあ〇〇ね!オチオープン!」「最後の一人は…」
 (〇〇先生、わたしを選ぶよね?と訴えるビーム)
 「う~ん、拍手も姿勢も素敵だった…〇〇!」
 (一斉に)「あ~~~~~…!!!!」(全身から残念オーラ)
 出ました!「自分が笑わせたかった」現象です。

■子どもにとっての笑わせたい相手

 私は漫才ワークショップでも、教室の中でも子どもたちのちょっとした発言を拾い、笑うことを心がけています。笑いというのは不思議で、“存在そのものを認めてもらえた”という気持ちになります。小学生のとき、私が一番笑わせたかった相手は母親でした。母が笑ってくれるととにかく嬉しい。逆に度が過ぎることをして、母が笑ってくれないときには「このラインを超えるとウケないんだ」と2年生で分析していました。そして4年生のとき授業中先生に怒られたときも「同じボケを繰り返しすぎたな…」と反省。学校で一番面白い先生に叱られたことがショックで今も記憶に残っています。
 誰かを笑わせたい。笑っていてほしい。それは何も大声を出して笑わせるというだけではありません。公園で遊んでいて、ふと目が合ったときのちょっとしたほほえみだけでも嬉しい。
 面白い友達や、先生を笑わせたい。そして子どもが一番に笑わせたいのはやっぱり、母であり父じゃないでしょうか。

 教室で心がけていることがもう一つあります。すぐに叱るのではなく、常に「叱るほどのことかどうか」を自問自答すること。子どもたちが何かしたときに「今のって実は笑わせようとしたんじゃないか?面白いことだったんじゃないか?」と。 余裕がないときこそ、笑って過ごしたいものです。

 

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