【24】押し入れの中のズボン

 「隠しちゃった…。」
 それは、3泊4日のサマースクール、2日目の午後5時の出来事でした。川遊びから帰ってきた子どもたちは、水着から普段着に着替えます。すると「なんだこれ!」と叫ぶ1人の男の子。着替えている途中で押し入れの中からびちょびちょに濡れたズボンを見つけました。私を含めそれを聞いた周りの子たちが、ぞろぞろとそのズボンの周りに集まります。胸騒ぎがした私は恐る恐る匂いを嗅いでみると、それは鼻の奥にツンとくるあの匂いでした。
 しかし今は朝ではなく、日も落ち始めた夕方の5時です。私は状況が飲み込めずにいました。あたりを見回すと1年生の男の子Mくんが、バツが悪そうにこちらを見ていました。その子をみんなから遠ざけて「Mくんの?」と尋ねると「うん。」と一言。「どうしたの?」と続ける私にMくんは数秒黙り込みましたが、意を決したように「隠しちゃった。」と答えました。

 状況を整理すると、その日の朝4時頃Mくんはトイレに行くために起きたのですが、トイレまで間に合わずに廊下でしてしまい、その後反射的にそのズボンを押し入れに隠してしまったとのことでした。人間誰しもおねしょの経験はあり、それは全く悪いことではありません。ただ、今回は押し入れに隠したことで、木造の押し入れの床が広範囲で汚れてしまいました。そこで宿の方に謝りに行くことになりました。しかしMくんは声を荒げて泣き始めたのです。理由を聞くと、宿の方に怒られるのが怖いとのこと。「宿の方は怒らないから大丈夫。」私がそう伝えても涙は止まりません。宿の方がいる部屋のドアの前まで行きましたが、あと一歩が踏み出せずに約20分が過ぎました。その間も大粒の涙が止まることはありませんでした。

 そこで私は謝るか謝らないかをMくん自身の判断に委ねました。そのときに伝えたことは、「嫌なことから逃げるような人生を送らないでほしい。」ということだけです。すると心を決めたように涙を拭き、私に言われるまでもなく自分の手でドアをノックしたMくん。出てきた女将さんに状況を伝えて、「ごめんなさい。」と謝ることができました。
 部屋に戻る途中でMくんが「言えて良かった。」と爽快感に満ち溢れた笑顔で私に話しかけました。私もMくんを抱きしめて「頑張ったね。」と伝えます。家族も友だちもいない、誰も知らない、行ったこともない地で1年生の男の子が壁を壊した瞬間でした。たったの20分かもしれませんが、彼にとっては大きすぎる20分。もがき苦しんだこの20分こそが、彼にとっての財産なのです。

 部屋に戻ると班の仲間が「どうしたの?」とMくんに駆け寄ります。うまく話せないMくんの代わりに私が状況を伝えると、3年生の男の子が「なんだよ!大丈夫だよ!俺なんて3年生の今でもおねしょするんだから!」とMくんに向かって励ましました。それを聞いたMくんは雨上がりの空に虹がかかったような清々しい表情をしていました。

 翌日、秘密基地を作っている最中に私の方に歩いてくるMくんの姿がありました。「しちゃった。」と一言私に告げます。よく見るとMくんの下半身が大きく濡れていました。またもやトイレに間に合わなかったとのこと。私は驚きを隠しながらも正直に言えたことを認めます。本人もそれが嬉しいのか笑顔です。
 こういった失敗こそが、大人になったときの魅力となるのかもしれない、と水道で自分のズボンを一所懸命洗うMくんの背中を見て感じました。

 

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