【155】それぞれの「生きづらさ」を抱えながら

 年末に引き続き、3月末にも雪国スクールが開催されました。今回はそこで出会った一人の男の子のお話です。

 3年生男子Rくん。口が達者でひょうきん者、常に場を盛り上げようとするサービス精神旺盛な子です。語彙も豊富で、話しぶりから論理的に物事を考えるタイプなのも伝わってきました。その一方で、すぐ調子に乗ったり、少し言葉や態度がキツイかったりするのが玉にキズで、最初はいい感じだった班のメンバーと衝突する場面も多々。そんな中迎えた最後の夕食前、5年生男子Kが突然目に涙を浮かべ、耳を真っ赤にして「ふっざけんなよ!!!」と畳やリュックを殴り、地団駄を踏み始めました。どうしたのかと尋ねると開口一番「だってRが!!」と絶叫。すでに食堂へ行こうと廊下に並んでいたRを呼び出し、残りのメンバーは他のリーダーに引率してもらい、私とRとKの3人で部屋に残りました。

 Kの言い分を要約すると「Rがごっこ遊びの延長でKを『馬』と呼んだり、乱暴に乗ったりしてきた上に、『やめてよ』と言っても無視された。」ということでした。これまで他の子と口論になっても圧倒的な語彙とロジックでまくし立て、相手を論破していたRも、上級生が放つMAXの怒気に圧倒されたのか大人しくしています。一通りKの話を聞き、私はRに「何か言いたいことある?」と話を振りました。すると彼は困ったような表情でこう切り出しました。

R「Kが怒っている理由はなんとなくわかるんだけど…。」

私はRが言葉に詰まるのを初めて見ました。対話を続けます。

R「理解はできるけど共感はできないというか…。」
私「『雑に扱われて乱暴をされたから怒る』ということが共感できない?」
R「言いたいことは分かるけど、僕だったら遊びだと思ってキレたりはしないかな…。」
私「なるほどね。Rはそうかもしれない。だけど、Kは違うんじゃない?RのセーフがKのセーフとは限らないよね。事実としてKは嫌な気持ちになって、そんな気持ちにさせたRに対して怒っているわけだし。」
R「まあ…。でもそれって逆に言えば仮に僕がごめんなさいって謝ったとしてもKがいいよって言うとは限らないから…。」
私「よく分かってるじゃない。そうだよ。Kには許す権利も許さない権利もある。」
R「だからどうしていいのかわからない。」
私「まず、そこまで言葉にできたことが凄いと思うよ。凄い。じゃあ、例えばね、止まっている車に別の車が軽くぶつかったとして、裁判官はどっちが悪いと言うかな?状況がどうとか、わざとかどうかは置いといて。」
R「ぶつかってきた方の車。」
私「そう。わざとかどうかは問題じゃないし、相手が許すかどうかは関係ないのよ。傷つけた/傷つけられたって関係が成立したら、なにはともあれ、まずは傷つけたという自分の非を認めて詫びるのが筋だと思うよ。」

 彼は今、自分の生きづらさと正面から向き合っています。頭の回転が速いが故に周囲と話が合わない息苦しさ、でも心はまだまだ幼いから頭の中のロジックが空回りする不快感と懸命に戦っています。今、彼に優しさや思いやりといった道徳を説くよりも、彼が頼り、彼を苦しめる言葉と論理に正面から一緒に向き合うことが私なりの誠意です。(今思えば、ハラスメント的な加害被害の構造と交通事故のそれを混同しているので論理的かと言えば微妙ではあるのですが)

 その後しばらくして、さらにいくつかの言葉を交わし、最後はRの「ごめんなさい。」とKの無言の頷きでこの一件は幕を閉じました。夕食後にはケロッとした様子で二人とも仲良く遊んでいるあたり、子どもの常に前を向く姿勢には笑いながら降参するしかありません。

 その日の夜、私はRに「議論ってのは相手を言い負かすことじゃないんだよ。相手と違うところと同じところを整理して、どうしたらお互いが納得できるかを協力して考えることなんだ。同じ時間を使って喧嘩するよりも別解を探す方が有意義だしワクワクするでしょ?君の頭の良さはそういうことのために使うべきだと思う。そうすれば生きることがもっと楽しくなるはずだから。」と伝えました。お説教をするつもりはなく、種類は違えど人並みに生きづらさを感じてきた、人生の先輩の一人として、彼の生きづらさを放っておけなかったのです。

 雪国スクールから帰り、解散場所で「〇〇(リーダー名)、ありがとう!また来るね!」と笑顔で手を振るRを見送りながら、彼が彼らしくいられる場所がこれからも続きますようにと心から願いました。

 

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