【104】「当たり前」に感謝

 7月になり、花まる学習会の授業形態も大きく変わりました。今まで感染症対策でスクール形式(テーブルを全て前向き)にしていたところ、グループ学習がしやすい形(机を向かい合わせでくっつける形)に。また講師もフェイスシールドを外し、マスクのみの装着になったことで、子どもたちの表情がより見られるようになりました。「教室がいつもと違う!」「先生たち、フェイスシールドないの!」と興奮気味な子どもたち。今までと同じメンバーではあるものの、新しい環境になったような気持ちになったのは大人だけではなかったはずです。
 席に座った瞬間、どの学年でも子どもたち同士の会話が自然と生まれました。もちろん今までも子どもたち同士の会話はあったのですが、大きな違いは2,3人の少人数で話すのではなく「同じグループみんな」で話しているというところ。席に座っただけで全員と顔を合わせられるようになり、誰からともなく話すことができるのは子どもたちの大きな強みだなと感じました。
 授業が進む中でも、このテーブル配置は大きな効果をもたらします。年長クラスではお互いにかっくん(書き順練習テキスト)を見て「すごい!〇〇君こんなに練習したんだね!私も負けない!」という会話が聞こえたり、低学年ではキューブキューブの時間に大人が声をかけることなく子どもたち同士で教え合う姿があったりと、改めて子どもは子どもたち同士の中で成長していくことを授業を通して感じました。
 今となってはこのテーブル配置が新鮮に感じますが、約2年前まではずっとこの形で授業を行っていました。同じ学年、時には異学年同士の子どもたちと顔を合わしながら授業が進みます。意見がぶつかることもありますが、常にお互いの表情が見られるため自然と仲直りをしている姿も何度も見てきました。
 私自身、このテーブルの配置が大好きです。「なぜだろうか…」と考えた時、思い出したのは小中学校時代の給食の時間でした。
 小中学校の時、給食の時間は必ず班のメンバーと机をくっつけてご飯を食べていました。当時、給食の時間中に会話をしても問題なかったため、他愛もない話で大笑いしていたことを今でもよく覚えています。この時間だけは、普段あまり会話をしない子ともたくさん話をした気がします。すぐに表情を見ることができるため、自然と話かけることができました。新学期になった時、一番早く仲良くなったのは一緒に席を囲んで給食を食べたメンバーだったように思います。
 今はまだ学校で会話をしながら仲間と顔を合わせて給食を食べることは難しいかもしれません。しかし、新しい環境で授業を行った子どもたちも気持ちは同じだったのではないかなと思っています。少しずつ、確実に、今まであった「当たり前」が戻ってきているように感じ、懐かしさを覚えました。それと共に「当たり前」ができることへのありがたみを感じることができたのは、この2年間の我慢があったからだとも感じています。子どもたちにとっても、大人にとっても苦しいことが多かったこの2年間。しかし、苦しみに勝る「学び」もたくさんあったように感じます。

~時流れゆくことが決して年老いTAKE事じゃない
 君がただ居るだけで生き甲斐になる人がいる事~

 私が大好きなバンド、「10-FEET」の「RIVER」という歌の歌詞です。個で考える時間、自分をじっくり見つめ合う時間、その時間があったからこそ以前の「当たり前」に戻り、花まる学習会の集団授業の力がより発揮されているのではないでしょうか。子どもたちのまだ見ぬ力を引き出せるよう、今ある環境に感謝の気持ちを忘れず温かな教室を作ってまいります。

 

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